映画「ソワレ」

【自分の人生を生きられない2人の、明日を迎えるための夜公演】

公開直前に、filmarksさんのオンライン試写会で視聴しました。

役者を目指して上京するも目が出ずに犯罪にも手を出すようになった青年・翔太が、故郷・和歌山の老人養護施設で演劇指導をすることになった。そこで働く女性・タカラはつらい過去に囚われながら日々を送っている。ある事件をきっかけに、2人は逃避行に…という話。

オレオレ詐欺に加担していた翔太が、老人ホームを訪れると、何もしていないのに入居者のおじいちゃんに息子と間違えられるという、ちょっとひねったシーンが、ギャグではなく、淡々と挟み込まれているところが、いいですね。思わず頬が緩んでしまいます。

男女逃避行モノであることは、事前情報で知っていましたが、思いのほか早く事件が起こります。お互いに惹かれあってからの逃避行ではなく、事故的に唐突に逃避行が始まるところが、いいです。

翔太は、悪く言えば幼稚なダメ男。だから他人様のものに平気で手をつけようとするし、まともに働こうともしない。この逃避行を「かくれんぼ」だと言うのも、大人になれていない証拠。一方のタカラは、両親との関係性から、少女時代を奪われたまま大人になった。2人が一緒に過ごすことで、この逃避行が、翔太にとっては大人になる過程であり、タカラにとっては子供時代を取り戻す過程になっているように感じました。

ただし、どちらも、マイナスをゼロにする過程であって、この物語の後、やっと2人は前に進むことができます。そういうエンディングでした。

ラストで、ハッとするタネ明かしがあるのですが、これを見てしまうと、タカラがいつ何のきっかけでそれに気づいて、その前後で何か態度が変わっているのか、もう1度見て確認してみたくなります。

翔太は、決して何もない人生などではなく、少なくとも1人の記憶には残る演技をしていた。そして、その時のセリフは、タカラへのメッセージになっているという。よく考えられています。 

タイトルの「ソワレ」はフランス語で、日が暮れた後の時間のことですが、舞台興行の世界では、昼公演(マチネ)に対して夜公演のことですよね。ずっと、何が「ソワレ」なのだろう?と思いながら見ていましたが、この逃避行は、2人が明日(=未来)を迎えるための一夜の舞台(一晩ではありませんが)で、現実に向かうための、ある意味フィクションだということなのかな、と受け取りました。 フィクションは現実(リアル)ではありませんが、リアリティは必要ですから、冒頭の演技レッスンシーンのホワイトボードともつながります。また、逃避行が始まる前は手持ちカメラが中心で、ドキュメンタリーっぽいのに、逃避行が始まると、映画的な見せ方が増えるということにも合致します。また、何度か挟み込まれる夜明けを待つ海辺の2人のシーンとも重なります(それにしても、寛一お宮の時代から、駆け落ちといえば、海ですね)。

今回、オンライン試写会でヘッドホンで聴いていたということもあるかと思いますが、村上虹郎の声がいいですね。気持ちいい。いつもは抑えぎみのお芝居が多いような印象ですが、今回は役者の役だし、2人でぶつかり合わないといけないので、強く出ることも多かったですね。芋生悠は強さと儚さを兼ね備えた佇まいです。「37seconds」でもそうでしたが、出会い頭に一気に引き込む力があります。この2人は、今回の芝居に対しても、ある意味「共犯者」だったのかもしれません。

気になったのは、劇中で演じられる安珍・清姫伝説が、二人の境遇とは全然マッチしていないこと。地元の伝承というだけに終わっているのがもったいないと感じました。

あと、和歌山や三重・奈良などで使われる否定の助動詞「●●●やん」(「逃げられないぞ」→「逃げれやんぞ」とか)が、三重県出身の私にとっては個人的にとても耳に心地よいのでした。