映画「悪人伝」

【毒と毒をもって毒を制す】

観たいと思いつつ、なかなかタイミングがなかった「悪人伝」をやっと見てきました。

冒頭、繁華街を走るクルマを「お、アウトレイジか?」と思いながら見ていると、その後のシーンのインパクトが強くて、いきなり心を持っていかれます。まったく抵抗できずに、殴られ続けることを「サンドバッグ」と比喩的に表現しますが、そういうことになっているとはねぇ…、いい見せ方ですね。

そのヤクザの親分ドンスが、たまたま連続殺人鬼の標的になって刺し殺されかかった恨みをはらすために、はみだし刑事テソクと手を組んで犯人を追う…という話。

この犯人、相手がヤクザ者だと知っていて襲ったわけではなく、たまたま相手が悪かった。いかついメルセデス・ベンツから丸太棒みたいな腕をした男が、いかにもという出で立ちで降りてきたら「や、やめておこうかな…」と思っても不思議ではないのですが、一切関係なく襲い掛かるんですよね。女性や子どもや老人や障碍者など自分より弱そうな相手を選んで襲うような無差別とは言えない連続殺人ではなく、正真正銘本物の無差別殺人(褒めてはいない)です。

ドンスは、サンドからの揺さぶりもあったうえに、得体の知れない者に襲われたとあって、このままではメンツが立たず、自分のポジションが危ういからこそ、警察と手を組むというギリギリの判断をしたんでしょうね。一方で、自分の考えを上司に受け入れてもらえない刑事テソクは、そこまで追い込まれてはいない。最初は、利用できるだけ利用してやれという、軽い気持ちだったかもしれません。

もちろん、双方とも、心の底から協力しているわけではなく、お互い最後は自分の目的を果たそうとするわけです。でも、ヤクザを利用したら、利用したという事実をネタにヤクザに利用されることになるのは、日本も韓国も同じですよね。 

結局、同じ穴のムジナになるしか、道はありません。徐々に、テソクチームがヤクザの社会に染まっていくところが面白い。ついつい、ドンスのことを「兄貴」と呼んでしまったり、「美味しんぼ」で初めて知ったあのマナーを実践してしまったり、フードで描かれる関係性の変化もあります。最初の方で、ドンス一家とサンド一家のヤクザ同士のやり取りがありますが、同じことをテソクチームとドンス一家が繰り返すシーケンスが印象的でした。

フード描写でいえば、ドンスはみんなに飯を食わせるものの、自分自身は口をつけていなかったと記憶しています。つまり、彼が本当のところでは仲間にも腹を割ってはいないということと、彼の強さが正体不明、異次元のものということなのでしょう。

どれだけ協力しあっても、最後の最後でどちらかが出し抜いて目的を遂行してしまったら、もう一方の目的は果たせません。どうやれば気持ちのいいエンディングを迎えられるのか、考えながら見ていましたが、その懸念にもしっかりと応えてくれました。 

ただ、エンディングは、あのクルマから降りてのニヤニヤ顔ですっぱりと終わった方が、その先どんな悲惨な状況が繰り広げられるのか、観客が好きなように想像できてよかったのではないでしょうか。

また、気になったのは、あれだけ証拠を残すことを周到に避けてきた殺人鬼が、あんな他者との接触が多くて危うい犯罪を犯してしまうところ。あそこは、犯人像がブレてしまっていたと感じます。