映画「パブリック 図書館の奇跡」

 【「奇跡じゃない。世界よ、これが図書館だ」と、全図書館員が泣く(たぶん)】

高校の図書室が舞台の「ブレックファスト・クラブ」に出演していたエミリオ・エステベスが、今度は自ら公共図書館の映画を作ったというだけで、なかなかエモいものがあります。共通しているのは、図書館の中では、社会的な階層、クラスの中の階層は関係ないというところでしょうか。

凍死者が出るほどの記録的な寒波に襲われているオハイオ州シンシナティで、行き場のないホームレスの集団が公共図書館を占拠。図書館員のスチュワートが、なぜか事件の首謀者と見られて、どんどん巻き込まれていく…という話。実際にロサンゼルス・タイムズに寄稿されたエッセイに着想を得たということで、物語自体はフィクションということですね。

原題は「The Public」。一般大衆といった意味もありますが、この作品においては「公共」と訳すのが適切なようです。

冒頭は、図書館が開館すると真っ先にトイレに入って、歯磨きなどの身支度をするホームレスたちのシーンが続きます。図書館が、ホームレスの生活の場になっているんですね。職員たちも、軽く会話しながら、彼らを排除するようなことはありません。

こんな記事がありました。 米国の公共図書館はホームレス問題への取組みの最前線にある
U.S. libraries become front line in fight against homelessness(Reuters, 2014/7/17) 

しかし、主人公スチュワートは、キャリアの危機に陥ります。彼がホームレスの利用者を体臭を理由に図書館から追い出したとして、市が訴えられるのです。これは難しいところです。追い出さなければ、他の利用者の快適な環境を損ねることになります。誰かの権利と誰かの権利が衝突する時どう対応するのか。「公共」を考える際に非常に頭を悩ませる問題です。このことが、彼の後の行動につながっているわけです。

そんな折、図書館の前で、ホームレスが凍死します。ここから、物語が大きく動き始めます。避難シェルターが足りずに、寒さをしのぐことができないホームレスたちが、図書館の閉館時間になっても居座り続け、そのまま図書館の一室を占拠してしまいます。日常的に彼らに接してきたスチュワートが交渉役として、彼らの中に加わります。スチュワートは、避難場所として図書館を提供するように働きかけますが、認められません。

この行動は、単に一夜の寒さをしのぐ屋根を提供してほしいということではなく、デモ行動(オキュパイ・ムーブメントのようなものですね)となっていきます。「シェルターのキャパが足りないのは、みんなが我々の存在を知らないからだ。声を上げて(Make some noise)、存在を知らしめるのだ」ということです。

これに、次期市長選に名乗りをあげている検察官、ホームレスになっているらしい息子を探している警察のベテラン交渉人たちが、「アタマのおかしな図書館職員が利用者を人質に立て籠もっている」と見立てて、解放しようと働きかけます。

実は、スチュワートにはある過去があって、それがホームレスたちに同情的に立ち回る背景にもなっていますし、そして、警察側が首謀者に仕立て上げる理由にもなっています。

こうやって、書いていると、とてもシリアスな話のように思えますが、語り口はコメディです。特に警察側、そして報道陣は、かなり間抜けに描かれています。一方の、図書館員たちは、主人公スチュワートはもちろんですが、みんないい役回り。

「館長、かっこいいぞ!」みんな、図書館員であることに使命と誇りをもって働いているんですね。同じように使命と誇りを持って働いている図書館員の方が見たら、きっと泣いちゃうんでしょうね。

図書館が「民主主義の最後の砦」であるという感覚は、日本人にはあまり馴染みがないかもしれません。図書館とは、単に本を貸してくれる場所ではなくて、すべての人が平等に情報にアクセスできる権利を保証する場所なんですね。為政者は都合よく情報をコントロールするのが常なので、そこから独立して市民に情報を提供する場所だから「民主主義の最後の砦」ということです。本作でも、警察は都合よく情報を流していましたし、報道もそれに乗っかりながら煽情的なストーリーに仕立てて報じようとします。私たちが、自分で考えて正しい判断をするために、情報にアクセスできることが必須なのです。

圧倒的な正しさを、コメディの力で説教臭さを排除し、楽しめる作品に仕立て上げられていると思います。作中、ある文学作品が引用され、もっとも印象的な場面になっていますが、欲を言えば、占拠しているホームレスたちも、図書館にあるさまざまな資料をもとに、作戦を考えたり、お互い議論したりしたら、もっと面白かったかもしれません。図書館が人を変える力を持っていることが、より印象付けられたはずです。

ラストは、占拠したホームレスたちが全員男性だったので、非暴力不服従を体現しつつ、お馬鹿な楽しいシーンとして見ていられるのですが、もし女性がいたらどうしたんでしょうね。冒頭では、女性のホームレスもいましたよね。もしかして、図書館前で亡くなったのが…? そういう意味では、ラストシーンありきの都合のいい設定ですね。

また、サイドストーリーの扱いが、少々雑だったように思います。

例えば、市長選の行方。最初に結構ボリュームを割いていたので、てっきり、この立て籠もりデモが、両陣営の選挙キャンペーンに利用されるのかと思っていましたが、ほぼ放ったらかし。片方は、多くの市民と同じデモ賛同者の1人になっていました。また、例えば、交渉人と息子の関係は、何も解決していません。図書館の独立性をアピールする道具にしかなっていません。また、同僚のマイラと、スチュワートの隣人のアンジェラの立ち回りが若干かぶっていて、中途半端だったので、ここは整理統合して1人にしてもよかったかもしれません。