映画「37seconds」

出産時に、37秒間呼吸が止まっていたために、脳性麻痺で手足が不自由となる障がいが残り、車いす生活を送る女性ユマが、母親の過剰な干渉から自立をはかる物語。

「障がい者が困難を乗り越えることに感動」という作品なら見なくてもいいかなと思っていました。毎年夏になるとテレビでやってくれるし(見ませんが…)。でも、世評を聞くとそうでもないらしい。観てみると、もちろん感動はありますが、それよりも爽快感の方が勝っていました。

冒頭の入浴シーンから「ここまで踏み込むのか」と、いきなり鷲摑みにされます。それはただの驚かしの先制パンチではなく、主人公ユマが「何がどう不自由なのか」を見せながら、同時に母親の過剰な干渉という、この映画の基本的な構図を見せてくれています。母親はシェイクスピアをユマに読み聞かせます。小さい頃からやっていたのでしょう。それが、ユマのクリエイターとしての素養につながっているのかもしれませんが、24歳の娘に対してやることではありません。ハンバーグを細かく切り刻むのも、ユマができることまで先取りしてやってしまう母親の過保護っぷりがよく分かります。

ユマは、漫画家志望で、友人のサヤカのゴーストライターとして漫画を描いています。YouTuberでもあるサヤカは、ユマをアシスタントだということにして、その存在を隠しています。この「いないことになっている」という設定も、ユニバーサルデザインやバリアフリーと言われますが、まだまだ、障がい者がいることを前提としたインフラ設計、制度設計がなされていないということをうまく反映させています。

そして、ユマが自分の作品を描きたいと思い、行動を始めるところから、どんどん彼女の世界が広がっていきます。おそらく、撮影は順撮りで行われていると思われ、話が進むごとにユマの表情が生き生きとしていきます。CHAIの楽曲が使われていて、彼女たちのアティチュードに本作に通じるものがあって、ぴったりでした。このセンスの良さは、信頼できます。


彼女が行動を始めてから、出会う人はみんないい人たちばかりです。風俗の紹介所の兄ちゃんも、女性向けデリヘルの兄ちゃんも、障がい者向けセックスワーカーのお姉さんも、その常連のおじさんも介護士も、いい人過ぎるぐらいいい人。ユマが一歩を踏み出すきっかけになった成人漫画誌編集者も、最初は「どうせ、できないでしょ」という侮蔑を含んだ酷い言葉を発するものだと思っていましたが、ラストの展開を踏まえると、障害の有無ではないところでユマの漫画家としての才能そのものを見ていたわけで、悪い人ではなさそうです。

結局、母親のようにユマを過剰に守ることは、こういった人たちとの出会いのチャンスを奪うことになるということですね。ユマを強く後押しする障がい者向けセックスワーカーのマイ姉さんは、酔っ払ってしまったユマに「お酒は失敗して覚えるものよ」と声をかけます。これは、お酒に限らず言えることですよね。ユマは行動を始めてから、「やめておいた方が…」と思ってしまうようなことにも手を出して、失敗しては、学んでいってます。

また、ロードムービー的に次々と進んでいく展開に「ちょっと都合よすぎだろう」と思ってしまいますが、これも、「障害があるんだから苦労するのが当然」という自分の固定観念を見透かされているようで、ドキッとしました。

そんな中で、損な役回りがサヤカ。サヤカのおかげでユマは収入が得られているともいえるのですが、まあ、彼女を利用しての搾取ですよね。ユマがいなくなっても、作品のことは心配しても、ユマ自身のことを心配している様子はありませんでした。この関係性が放ったらかしにされたままだったのが、ちょっと残念でした。でも、成長したユマならば、それも何とかしてしまうのではないかと期待させてくれるエンディングだったと思います。

なんなら、続編で、サヤカとの関係性の精算、ユマの新しい仕事、新しい恋愛、そして、あの女性の帰国と再会…そのあたりも見たいくらいです。

1点気になったのが、リハビリから抜け出して、その流れでそのままタイまで行ってしまうところ。パスポートはどうした? あの母親が海外旅行させるとは思えないので、彼女はパスポートを持っていないでしょう。新たに取得するには時間がかかるし、家に帰らずにできるとも思えいない…と、観ているときは思っていたのですが、よくよく考えてみると、運転免許の取得も難しく、障がい者手帳も身分証明書として使えない場面があるとしたら、パスポートを持ち歩いているというのは、ありえない話でもなさそうです。まあ、どう考えてもテンポが悪くなるので、すっ飛ばしてしまうのは正解だと思います。もし、前半に彼女の鞄の中にチラッとでもそれらしきものが映り込んでいたら、「してやられた!」となりますね。

また、タイである必要性はあるのか? 沖縄ではダメなのかとも考えました。しかし、ユマがタイで考える「もし…だったら」の振り幅はより大きい方が重みを感じますし、タイで出会う女性は自由人に育てられたのですから国境という壁を越えているのも当然のことでしょう。そして、「障がい者の行動できる範囲は、この程度のもの」という私たちの固定観念を、ここでも揺さぶってくれるという点で、やはり意味のある展開になっています。