映画「レ・ミゼラブル」

ミュージカルや映画でも有名なビクトル・ユーゴーの代表作と同タイトルですが、設定を現代に置き換えたわけではなく、まったく別作品。舞台は同じモンフェルメイユ、ジャン・バルジャンが市長をやっていた街です。調べてみると、パリから電車を乗り継ぎ1時間半ぐらいの場所のようです。その街が、現在は、アフリカ系、イスラム系、いろんな移民が住む貧しい街となっていて、まあ、治安が悪いこと、悪いこと。窃盗、警官、暴動、革命…と、「レ・ミゼラブル」に共通する要素が散りばめられていました。


冒頭は、2018年ロシアW杯優勝に沸くパリから始まります。本大会で活躍したエムバペは、貧しい移民の子どもたちにとってのヒーローです。しかし、スポーツはわかりやすく国民を一致団結させてくれますが、実際の生活は、そう簡単にはいきません(「オリンピックが何とかしてくれる」と思っている日本人も、相当ヤバイです)。

一応の主人公となるのが、シェルブールからこの街にやってきたルイス(通称:ポマード)。同僚となったクリスとグワダの3人で街中をパトロールしますが、その過程で、よそ者である彼の目を通して、私たちはこの街の荒れ具合を目の当たりにします。マーケットを仕切るアフリカ系の通称「市長」、元はかなりワケありそうなケバブ屋のサラー、ロマのサーカス団、「ハイエナ」と呼ばれる麻薬組織。民族、宗教入り乱れた緊張感あふれる勢力図が見えてきます。これは、ある意味、世界の縮図でもありますね。 

もちろん、警察もその勢力図の一画を占めています。この街では、警官も少々荒っぽくいかないと舐められるのでしょう。おそらく、警察の中でも扱いの低い部署なのだと思われます。そこそこ腐っています。明らかにアウトな職務態度です。その結果、移民たちからは「権力を振りかざす者」として疎まれることになっています。リーダーのクリスがルイスに放った「絶対、謝るな」というセリフが印象的です。「謝ることは負け」だと思っている、実は弱い人間。日本にも、間違いを認めることのできない偉い人がいますよね。

前半は、静かだけど、街全体に溢れるイライラを感じるような展開です。どこかに針をプスっと刺すと破裂してしまいそうな、一触即発の緊張感があります。

そして、ある少年がサーカス団の子ライオンを盗んだことがきっかけとなり、その危うい勢力バランスが崩れ、もう引き戻すことができない方向に話が進んでいきます。少年を取り押さえようとしたところ、他の子どもたちから妨害され、たまらず警官の1人グワダ(彼もまたアフリカ系移民)がゴム弾を発射し、少年の顔を直撃。さらに、その一部始終を日頃からドローン盗撮を趣味にしていた少年に撮影されてしまったことで、警官たちは隠蔽のために奔走。ドローン少年はサラーのところに逃げ込む。「市長」はこれをネタに警官を潰そうする。警察は「ハイエナ」に頼る。

ドラマとしては、警察側を悪役として、移民側、特に子供たちに感情移入させるような作り方にした方が、見やすいと思うのですが、あくまでも、警察側の視点で描かれているのがポイントです。警官たちの私生活にも触れて、単純に悪役にはせずに、彼らもまた今の状況に追い込まれているのです。

ラストの展開まで見ていくと、それに意味があるのだということが、よく理解できます。誰も、子どもたちことなど、まともに考えていません。これは、大人の問題です。私たちの問題だという強い主張が盛り込まれています。

「え? ここで終わりなの!?」というところで幕を閉じますが、「最後は皆さんで想像して」タイプの幕引きではなく、「現実は、まさにこの時が来ているんですよ。どうするんですか?」という、詰め寄られるようなエンディングでした。

「ジョーカー」を観たときに「ある意味、『天気の子』だよな」と思いましたが、「天気の子」度は、本作の方が高いかもしれません。邦題をつけるなら「団地の子」でどうでしょう(もちろん冗談です)。