映画「酔うと化け物になる父がつらい」

【お酒との向き合い方は難しいが、家族との向き合い方はもっと難しい】

松本穂香と恒松祐里が出ているということだけで、見に行きました。当然、原作も読んでいません(後から、Webで1話無料分は読みました)。

劇場で予告編を見たとき、酒癖の悪いダメ親父が病気になったら、実は結構家族思いのいい人だったということを後から知るという、コメディからの泣かせにかかるパターンだと思っていました。ちょっと違うようです。

確かに軽快な音楽にのせてコメディ仕立てなのですが、その状況はまったく笑えるものではなく、重く、壮絶なものでした。

まず、この父親、困ったことに酔い潰れた翌朝はケロっとしています。「あちゃー、失敗しちゃったよ。ごめん、ごめん」ということなら、「まったく、もう、いつもいつも、どうしてこうなのよ!」と、よくあるホームドラマになりますが、この父親は何事もなかったかのように仕事に行ってしまいます。セリフにも出てきますが、「謝らない」のです。見ているこちら側も腹が立ってきます。唯一の救いは、酔って暴力という方向には走っていないところでしょうか。

一方の母親は、すでに夫に愛想をつかして、妙な宗教に走っています。つまり、娘たちにとっては、まったく逃げ場、拠り所がないのです。

その母親がいなくなっても、まったく娘たちに関心を持たない父親に対して、長女サキは「気持ちに蓋をすればいい」と考えるようになるのですが、私には、幼い頃から十分に蓋をして生きているように見えました。酔っている父親に対して文句を言うことはあっても、素面になってから直接文句を言ったり、怒ったりというシーンはありませんでした。

つまり、父親が家族に関心を持っていない一方で、最初から家族も父親に対しては諦めている。お互い向き合っていません。母親がいなくなって、いよいよ自覚的に関心を持たなくなったということでしょう。

ただ、このお父さんは、仕事ができないわけではありません。職場の机配置から見ると人事課長ぐらいのポジション。毎日酒を飲んでいるかというと、そういうわけでもありません。カレンダーの×印を見ると、週末にかけて飲むということで、禁酒日もしっかりとっていて、ある意味制御できています(プールのくだりから考えると、休日前は、とことん飲むようです)。

でも、その部分がクローズアップされることはありません。おそらく、映画そのものにサキの主観が強く反映されていて、「記憶の中の父は、いつも酔っぱらっていた」ということなのでしょう。

きっと、奥さんがいなくなるまでは、彼のお酒は「楽しいお酒」だったのでしょう。それが、奥さんがいなくなってからは、平日の飲酒も増えて、制御がきかなくなってきて、完全に「酒に逃げている」状態ですね。前半とは明らかに異なっています。

もしかしたら、家族がちゃんとぶつかっていたら、この状況にはなっていなかったかもしれません。でも、それを家族側の落ち度だとは、どうしても考えられません。冒頭のサキのつぶやきに対しては、「確かにそうかもしれないけど、そうだとしても、あなたの責任ではないよ」としか、言いようがありません。エンディングの展開もそういうことだと思います。 

物語としては、「父親のことが理解できた」でもなく、「赦す」でもなく、「悔やまれる」でもないので、カタルシスはありません。とにかく、サキにとっては、漫画を描くことが捌け口となり、自己カウンセリングになって、何とか生きてこれてよかったね、という安堵の物語でした。いくらでも感動方向に持っていける話を、あえて展開しなかったのは良かったと思います。

全体的には、字幕、吹き出し、ひとり語り…と、説明しすぎな感じはあります。せっかく、実力のある俳優さんたちを使っているのだから、もっと、俳優を信頼してあげてもいいのではないでしょうか。

また、背中合わせで寝るシーンも、この家族がお互い向き合っていないことの象徴だと思いますが、わざわざ画面上で連ねて描写しなくても、「あぁ、あのシーンと重なるね」と気づきます。もっと、私たち観客を信頼してくれてもいいのではないでしょうか。