映画「コリーニ事件」(オンライン試写会)
【法廷で本当に問われたものは、犯人の罪だけではない】
cocoさんのオンライン試写会で当選しました。
刑事事件専門の弁護士が書いた人気小説が原作だそうです。
新米弁護士ライネンが国選弁護人として着いた、ある殺人事件。事件の被害者は、そのライネンの父親代わりともいえる恩人の企業家のマイヤーだった。事件について口を閉ざしたままの容疑者コリーニ…という、法廷ドラマ。
ただし、容疑者は殺害現場で押さえられた現行犯で、殺害方法も明白。有罪であることには間違いないのだけど、問題は「なぜ殺したのか」その動機に情状酌量の余地があるかどうか、というところがドラマの焦点になります。
したがって、ミステリーものではありません。犯人と被害者との関係性を追ったヒューマンドラマなのかな?と思いながら見ていました。
まずは、名優フランコ・ネロの「無言力」がすごいです。彼が話し出すのを、カメラもじっと待っているようでした。その無言の時間があるからこそ、彼の生い立ちにたどり着いたライネンから分けられたタバコを吸うシーンでは、「何かが通じ合った」瞬間を感じる、いいシーンでした。
しかし、そこから展開としては以外な方向に転がっていきます。過去の因縁に遡っていくと、単に私怨だけではなく、その後の戦争犯罪の清算の問題につながっていき、社会ドラマの様相を呈していきます。
ナチの戦争犯罪と言えば、ユダヤ人差別のことがまず頭に浮かびます。しかし、犯人コリーニはイタリア人です。もし、ユダヤ人差別がなかったとしても、やはりナチがやってきた様々な行為は酷いものだったということです。いや、ナチだから、ドイツだから、ということではなく、国家間の戦争には、常にその危険性が孕んでいるのだということでしょう。
そして、弁護士ライネンがトルコからの移民という設定も効いています。劇中でニ度ほど、彼に侮蔑的な言葉が投げかけられます。さらっと流されますが、それが「過去の問題ではなく、いつ、かつてのような事態になってもおかしくはない危険性が、今も残っているのだ」ということが感じられます。
ちょっと引っかかったところは、コリーニがかつて訴え出たのが、なぜそのタイミングだったのか?というところ。マイヤー殺害のタイミングについては、その理由が語られていましたが、コリーニが訴え出たタイミングについては語られていなかったと思います。そうなると、結局、問題となる法律が施行されるそのタイミングにあわせるという、「ドラマの都合にあわせた」という目的しか出てきません。ここは雑だな、と感じました。
また、ラストの展開も、「結局、これでは”逃げ”ではないか」と最初は感じました。しかし、少し時間をおいて考えてみると、ちょっと変わりました。この裁判の判決がどうなるかが問題ではないということなのでしょう。この問題にドイツという国がどう応えるかが問題なのだというメッセージだったのではないか、と受け取ることにしました。実際、この原作が発表された後、国が動いたそうですから、意味のある問いかけだったということですね。
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