映画「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」

【三島は学生との討論を楽しんで、そして、ちょっと失望したのかもしれない】

劇場で一度だけ予告を見て、絶対に見たいと思っていた作品。私は、三島が割腹自殺をした後の1971年生まれで、学生運動もすっかり廃れた時代に育っていますので、当時のことは深く知りません。この討論会の記録も読んでいませんので、あくまでも単体の映画作品としての感想です。

討論に入る前に、三島から学生に向けてのスピーチがあります。非常に柔らかい言葉を使って、ユーモアを交えて学生を笑わせます。笑わせながらも、三島は闘いに来ているこを宣言します。でも、彼のいう「決闘の論理」とは、今風に言えば、「相手へのリスペクトがある」からこその闘いなのだと言います。

そして、両極にあると思われる、天皇主義者である三島と、解放・革命を標榜する全共闘とは、「非合法の暴力の肯定」という点で同じであると、共通点を見出しています。学生たちはきっと驚いたはずです。「あれ? なんだ、この流れは?」となったのではないでしょか。

このスピーチを受け、司会の学生は思わず三島に対して「三島先生」と呼んでしまいます。この後の、学生の言い訳も、なかなか可愛らしい。この時点では、三島の手の上で踊らされる学生という図式に見えました。 てっきり政治や社会の議論になるのかと思っていたら、どうも、文化論、哲学論、芸術論が続いていきます(実際の記録を読んでいないので、ホントのところは分かりませんが)。正直、私のような十人並みのアタマでは、両者の議論がかみ合っているのかどうかも分かりません。


分かったことと言えば、三島が学生の言い分を一切否定しないということ。三島による闘いとは、相手を論破する、打ち負かすことではなく、どうも、共感させることのように見えました。解説の1人、内田樹氏は「三島は、1000人を相手に本気で説得しようとした」と話されていましたが、もっと言えば、惚れさせようと思っていたのではないでしょうか。

その中で、三島に負けず劣らずいいキャラクターを見せているのが、「東大全共闘きっての論客」と紹介された芥正彦氏。赤ちゃんを肩車して、なかなかハッタリの効いた登場です。ざっくりとしたセーターに赤いチェックのパンツという、今の感覚で見ても、なかなかおしゃれな出で立ちです。そうやって、自分が立つ舞台の空気を作れる人なのでしょう。彼の立ち位置は、運動家というよりは、芸術の人。つまり、作家である三島と同じ立場に立って、そして、三島を「敗退した人」と切り捨てます。

彼は、芸術の世界に生きる人ですから、「国家」や「歴史」というものから超越した立場で語ります。それが、彼が考える「解放区」です。彼から見れば、三島は「日本」「天皇」といった既成の枠組みから脱することができない古い人間でしかありません。もはや芸術家ではないということなのでしょう。彼にとっての「解放区」は今この瞬間自由であるという事実が重要ですが、三島は、その「解放区」を維持するためには生産活動が必要で…とシステムにこだわります。

お互い立場を譲らないので、議論は平行線をたどりますが、それがなんだかイチャついているようにも見えます。三島が芥にショートピースを渡し、芥が火を貸すというシーンがありますが、これは、フード理論でいうところの「同じ釜の飯を食う」と同じで、打ち解けあった仲であることを表していると感じました。ただ、タバコですから、腹には落ちずに、煙として散ってしまい、理解しながらも共感するには至らず、手をつなぐことはなかったということなのでしょう。

芥氏は、現在のインタビューでも登場しますが、言葉のチョイス、語り口調、眼差し、相変わらずエッジが効いています。革命は起きることなく、当時の全共闘のみなさんは、いろいろな形で社会に出ていくわけですが、彼は今も芸術の中で、時間からも解放されて生きているのでしょうね(あるいは、そういうポーズをとってるだけかもしれませんが、そこは分かりません)。

三島は、学生たちにある条件を前提として共闘を呼び掛けます。本気で共闘できると思っていたかどうかは分かりません。しかし、その呼び掛けを受けたうえで、言葉遊びとして三島に共闘を迫った学生に対して、三島は完全に拒否をします。魂のない言葉に対して「あぁ、ダメだこりゃ」と思ったことでしょう。

そして、最後の三島からのが学生たちへのメッセージ、そして、木村修氏が語るその後の三島とのエピソードを踏まえると、三島は「全共闘」という大きなうねりに対しては失望した、あるいは期待したような成果は得られなかったと考えているように受け取りました。そのことが、彼の次の行動につながっているのかどうかは分かりませんが。