映画「真実」

国民的大女優が刊行した『真実』という名の自伝。しかし、出版祝いのために帰ってきた娘が読むと、あまりにも事実とかけ離れている…。そこから、それぞれ知らなかった真実が徐々に明らかになっていく…というお話。

母と娘の確執ということで、「秋のソナタ」のような作品を想像していました。「シャルロット」も出てくるし。でも、いくらでも重くジメッと作れるところを、軽妙さも感じるような作りになっていました。

カトリーヌ・ドヌーヴ演じるファビエンヌは、ほぼ本人ですね。もちろん、本人に聞いても「私とは全然違う役柄よ」と言うでしょう。ファビエンヌに聞いても、そう言うと思います。そういう意味で、そのまんま。後から知ったのですが、彼女のミドルネームが「ファビエンヌ」なんですね。やはり、そのまんまです。

「真実が明らかになっていく」といっても、ミステリー作品のように「実はこれが真相だった。ばーーーん!」というものではありません。 お互いに気を遣っていたり、行き違っていたり、勝手に解釈していたり、こんがらがっていたり、意地を張っていたり、そんなことがぽつりぽつりとほぐれては出てくるような感じ。

そして、その「真実」には、どれほどの意味もないのかもしれないのです。大切なのは「気持ちが真実であること」。そして「言葉」とは、その気持ちをどうにか伝えるための術、ある意味「魔法」。その言葉が真実を語っているかどうかは重要ではないのかもしれない。気持ちを伝えるための嘘だってあるでしょう。そんな話のように感じました。

ファビエンヌの中では、ライバルであり親友だったサラは当時のまま時がとまっているのでしょうね。だからこそ、サラとイメージが重なる新進気鋭の女優マノンが出てきたときに心が揺さぶられるのですよね。しかも彼女と共演する映画はSFで、ファビエンヌが娘で、マノンが母。マノンは7年に1度しか地球に戻ってこなくて、しかもその間は年をとらない。つまり、ファビエンヌにとってのサラそのまま。しかも自分は「娘」の気持ちになりきらなければならい。そうなると、自然に「自分の娘は、母親をどう見ているのだろう?」ってことを考えざるをえない。女優として突き詰めていけばいくほど、自分と娘のことを考えるわけですよ。これは「うまい!」って思いましたね。

そして、是枝作品の例に漏れず、子役がいい働きをしてくれていて、ラストのところは、シャルロットを通して、「ファビエンヌとリュミエールは、やはり母娘なんだ」ということを感じ、またシャルロットは確実に2人の血を引いていることが分かる。大きな感動ということではありませんが、ふふっと笑ってしまう、いい締め方だと感じました。

ついつい、「日本でやるなら、どんなキャスティングで?」という視点で見てしまいますが、カトリーヌ・ドヌーブの役はあまり思いつかないんですよね。「樹木希林」という声も聞こえますが、私としてはちょっと違うんですよね。是枝組でいえば、大竹しのぶが15年後ぐらいにいい感じになりそうな気がします。ジュリエット・ビノシュは尾野真知子、イーサン・ホークは高橋和也でしょうか。ちょっと若いか。

私は字幕版で見ましたが、よく考えたら、もともと日本語で書かれた脚本なので、最初に監督が意図したもの知るには、吹替版でもいいかもしれません。