映画「アス/Us」

幼い頃に、海岸沿いの遊園地でのトラウマ体験で失語症になっていた主人公アデレード。やがて言葉を取り戻し、結婚して子どもも生まれ、再びその海岸近くにある旦那の別荘に家族で訪れると、そこには自分たち家族と瓜二つの姿をした家族がやってきて…というホラー。

前作「ゲットアウト」は事前情報ナシで試写で鑑賞して、その独特な空気感に圧倒されました。前作は基本的にはコメディだと感じましたが、今回は、かなりサスペンス、ホラーが前面に出てきていますね。前作が嫌な感じと笑いがずっと並行して進んでいったとすると、今作はシリアスな流れの中に、時折笑いがぶっこまれるという感じでしょうか。「そのシーンで、こんなに分かりやすいギャグを入れるのか!」というところもあります(AIスピーカーのやつ)。

ネタバレせずに、感想を記すのがとても難しい作品です。困った。

まずは、「自分と瓜二つ」いわゆるドッペルゲンガーに対する根源的な恐怖ですよね。「似ている」は笑えるのに、「まったく同じ」は怖い。これは、やはり自分という存在が脅かされるということなんだと思います。本作の恐怖は、まさにソレです。そして、単純に見た目の怖さだけではなく、物語の構造としても、そこがポイントになっています。

役者陣は二役を演じ続けるわけで、特に主演のルピタ・ニョンゴの演技が、まあ凄いことになっています。こういうのを「怪演」というのでしょう。

そして、まったく同じ姿をしているということは、作り手としては、観客に対して、ある仕掛けを施しやすいということでもあります。観客も、どこかでそれがあると期待して見ていることでしょう。私もそうでした。その予想をとても気持ちよく裏切ってくれて、そして期待を超える仕掛けが用意されています。

「ラスト○○分の大どんでん返し!」というよりは、徐々に徐々に「あれ? そんな行動をとるの? ということは…、ちょっと…、え? そういうこと?」という感じで、じわりじわりと真相に近付いていきます。私たちは、展開を見守りながらも「あれ? そういうことは、最初の方のあの流れは…」と、反芻しながら見ることになります。おそらく、計算されているのだと思います。ああ、悔しい。 

そうやって、普通にサスペンス、ホラーとして見ていても面白いのですが、ここに、社会的なメッセージが込められているのも、ジョーダン・ピール監督の作風ですね。

前作は、人種差別でしたが、今作は格差社会がテーマになっています。 冒頭のシーンで「ハンズ・アクロス・アメリカ」のCMが流れます。これは、アメリカ国内の貧困層救済のため、東海岸と西海岸を人間の鎖でつなごう、つまり連帯しようというイベント。でも、それに参加するためには寄附が必要で、結局手をつなぐのは余裕のある人たちだけ…ということで、いまいち盛り上がらなかったチャリティイベントだったそうです。私も「そんなのあったな」と、記憶の片隅に追いやられていました。そして、アメリカの格差社会は当時よりもさらに広がっています。

富裕層が手にしている富や特権は、誰かの犠牲の上に成り立っている。その「誰か」というのは、見知らぬ他人だと思っているので、誰もそんなことを気にしたりはしませんが、これを「アメリカ国民」という一つの集団、つまり「私たち=Us」と捉えると、犠牲になっているのは、私たち自身でもあると言えるのです。

そのことを、自分と同じDNAを持ちながら、影として生きていくことを強いられてきた分身と対峙することで、思い知らされるわけです。

恵まれた環境で育ってきたはずの家族も、ちょっと歯車が狂ってしまうと、お互いに殺した人間の数を競い合うようになってしまうことが、笑いをともなって表現されています。

このあたりの、シリアスとコメディのつづら折りは、さすがですね。

ただ、「なぜ彼らがいるのか」という大前提の設定には、少々無理があるように感じました。何のために始めたのか? 失敗だと判断したときに、なぜ処分(この表現もどうかとは思うが)されず放置だったのか? 言語を持たない彼らが、どうやって周到に準備をしてきたのか? うーん…、モヤモヤは残ります。