映画「凪待ち」

filmarksさんで、白石監督のティーチイン付きの試写会に当選しました。 

このポスタービジュアルだけで、「もう、絶対いい映画」感が溢れています。 

今回、香取慎吾が演じる郁男は「ギャンブル依存症のクズ男」ということなのですが、厳密に言えば、競輪依存症であってギャンブル依存症ではありません(別に、どちらがいいという話ではありません)。競輪場に行くのにわざわざドロップハンドルのロードに乗って、しかもそこそこ愛車を手入れしている。もう、根っからの競輪好きなんでしょうね。単なるギャンブル好きではありません。その分、泥沼っぷりがえげつないのですが。

恐らく彼が演じたことのない役柄だと思いますが、終わってみれば、彼以外には誰が適役なのかちょっと思いつきません。妻夫木聡や綾野剛とも、ちょっと違う気がするのです。

彼が、ギャンブラーモードに入ると、カメラがずーーんと傾きます。自分の足では立っていられないアリ地獄のようなすり鉢と、自転車を漕いで走っていなければ堕ちていきそうな競輪のバンクをイメージしているのでしょうね。 

本作は「喪失と再生」がテーマとのことですが、「喪失」するほど、彼は多くのものを持っているわけではありません。冒頭から印刷所を解雇され、子持ちの恋人である亜弓の実家の石巻に転がり込むように引っ越します。 彼が唯一手にしているものが、亜弓とその娘の美波とのつながりです。しかし、いろいろあって、その亜弓さえ失っています。宣伝では「誰が殺したのか? なぜ殺したのか?」という煽り文句が入っていますが、実はそこまでミステリー性は強くありません。みんなが想像できるレベルです。つまり、そこは主題ではありません。 

とにかく、何をやっても、プラスの方向に進んでいきません。不運もあれば、彼自身の問題もあります。すべてが悪い方向に噛みあっていきます。彼はギャンブラーですから、どうやら自分の人生に勝ち目がないことは感じていることでしょう。だからこそ、競輪(しかもノミ行為)にズルズルとハマりこんでいくのでしょうね。 亜弓の父である勝美は、東日本大震災の津波で奥さんを亡くしています。最初は、郁男を受け入れているようには見えなかった勝美は、自分の死期が近いということもあって、どこかで郁男と美波に希望を見出しているように見えました。 勝美は漁船の上で郁男にこんなことを言います。 

「津波が全部ダメにしたんじゃない。津波で新しい海になったんだ」(セリフの記憶は曖昧です)

津波で妻を亡くした老人が、こんなセリフを言えるものだろうか?とちょっと考えました。実際、勝美は震災当時から時間を止めたような日々を送っているようです。でも、こんなことが言えるようになったのは、娘が郁男と美波を連れてきたからなのではないか、と考えるようになりました。

勝美の漁船の名前は「美波丸」。父親の漁船の名前を自分の娘につけるほど、亜弓は家族を愛していたということなのでしょう。そんな亜弓も震災によって、地元にいられなくなったということなんでしょうね。そして、勝美は、自分の船に再び「美波丸」の名前を付けたら、孫が帰ってきた。これは、お爺ちゃんとしては、未来の光を感じてしまうことでしょう。その孫が心を開いている郁男には、昔の自分の姿もダブらせてしまいます。

「喪失と再生」の「再生」とは、決してタイムラインを元に戻すことではありません。また、ビデオを再生するように、当時のそのままの姿を再現することでもありません。文字通り「再び生きること」、つまり、新たに生き直すことなのだと思います。 震災で亡くなった人々は戻ってこないし、亜弓も戻ってこない。だから、戻ってこない人々の思い出の上に、新しい生活を作っていくしかない。決して先が見えているわけではなく、もやったままではありますが、勝美も、郁男も、美波も、その一歩を踏み出せたような気がします。

タイトルは「凪待ち」ではありましたが、映し出される石巻の海は、まったく時化ってはいませんでした。「凪」を「平穏無事な状態」の例えだとすると、それを待ちながらも、時化っているのは、私たち自身のことなのかもしれません。