映画「アメリカン・アニマルズ」

4人の学生が、ケンタッキーの大学図書館から、時価1200万ドル相当の貴重な画集を盗み出そうとしたという、本当にあったお話。

冒頭、こんなキャンプションが入ります。

「これは、真実に基づく物語ではない。真実そのものの物語である」 

すぐに、その言葉の意味が分かります。

この事件の犯人たち本人が、証言者として登場するのです。 でも、必ずしも各人の話が一致するわけではない。 つまり、「事実」は1つだが、「真実」は人の数だけあるということですね。

彼らは、生活に困っていたわけではありません。能力の足りなさに悩んでいたわけでもありません。社会的に抑圧された環境だったわけでもありません。どちらかといえば、余裕があって、将来も期待されていた存在でした。犯罪に手を染めなければならない理由なんてありません。

では、なぜ犯行に至ったのか? 自分の周りの「何か」が変われば、自分は「何者か」になることができる。このままでは何者にもなれないのではないか。そんな、大学生特有のモヤモヤ感をスペンサーは感じていたようです。それを受け取ったリプカが犯罪計画を持ちかけるわけです。リプカはこれまでも、もっともらしい理由をつけてはゲーム感覚で窃盗を繰り返してきたようです。スペンサーのモヤモヤ感は、リプカに強盗の意義をもたらしてしまったということでしょう。

誰もが感じる心の揺らぎが犯罪に転ぶ瞬間を映し出しているわけですから、単にケイパーものというだけでなく、「私たちの物語」としてグサリグサリと刺さります。

飛び立てない若者たちの強盗のターゲットになる画集が「アメリカの鳥類」というのも、皮肉です。

↓ポスターも意味ありげで印象的

 そんな彼らが、強盗計画の参考にしたのは、「オーシャンズ11」や「レザボア・ドッグス」などのケイパーものの映画たち。 最初は、予告編を見て「杜撰な計画でドタバタするコメディ」だと思っていたのですが、ずっと重い空気で進んでいきます(彼らの妄想上での華麗なる強奪成功シーンは、なかなか笑えますが)。「どこで致命的な失敗をするのか?」「今なら引き返せるぞ」と思いながら、観ることになります。

途中、完全にビビッてしまったスペンサーに対して、リプカは「『あのときやっていれば、人生は違ったはずだと』と思ってほしくない」といった言葉で発破をかけます。でも、展開は逆で「あのときやめていれば、人生は違ったはずだ」となっていきます。

本人へのインタビュー部分は、ある意味ドキュメンタリーなのですが、その前に脚本を書くために取材をしているはずで、撮影のために語り直しているのでしょうから、完全なドキュメンタリーとも言えなさそうな気がします。もし、取材をもとに脚本を作り、ドラマ部分を先に撮影して、そのビデオを見ながらインタビューをしているのだとしたら、かなり制作側の意図を踏まえたものになっていることでしょう。

このあたりの虚虚実実も本作の面白みの1つになっています。

本人たちへの取材をもとに、あくまでも彼らの視点で羅生門的に真実の物語を作っていっているのだと思っていましたが、どうやら、それだけでもなさそうだということが最後で分かります。私も、これまで犯人側の視点にのみ入り込んでしまったことに気づきました。

一方で、彼らのその後が、最後にさらっと語られますが、彼らは服役した後、この事件を何かしら人生の糧にできているようです。これは、彼らがやってしまったことを肯定しているようにも見えます。でも、おそらく、彼らは犯罪ではなくても、どこかで何かの刺激を受けて、人生のスイッチを入れることができていたのではないでしょうか。

「犯罪は映画の中で楽しむものであって、実際にやるものではないよ」「犯罪じゃなくても、人生を開くことはできるよ」というメッセージなんだと思いました。