映画「殺人鬼を飼う女」完成披露試写会

監督と出演者の舞台挨拶付きの完成披露試写会に当選しました。R18指定の映画の試写ですので、そういうのがダメな方は、さくっと閉じてください。中田秀夫監督と、主演の飛鳥凛は「ホワイトリリー」以来のタッグですね。

幼い頃の義父からの性的虐待によって、複数の人格を持つようになったキョウコ。キョウコを愛するレズビアンの尚美、母親に似た淫乱ビッチのゆかり、小学生時代のキョウコのまま時間がとまっているハル、それぞれの人格と折り合いをつけて暮らしてきたキョウコだったが、引っ越し先のマンションの隣室に住んでいたのが憧れの作家で、そこから生活が狂いだす…というお話。

解離性同一性障害を扱った映画といえば、シャマラン監督の「スプリット」「ミスター・ガラス」が思い出されます。

ジェームズ・マカヴォイが、1人で24人の人格を演じ分けていましたが、本作は、キョウコの中の別人格をそれぞれ別の女優が演じるというものです。マカヴォイより楽なのかもしれませんが、まったくの他人に見えてしまってはいけないわけで、役者も演出も、別の形で心を砕く必要はありそうです。特にキョウコ役の飛鳥凛は、他の3人ともクロスオーバーするシーンもあるので、結局、演じ分ける必要も出てきます。そうなると、それぞれの人格役の女優さんと一緒に1つの役を作り上げるということになっているのでしょうね。舞台挨拶では、そういうチームワークも垣間見れました。

私たちがスクリーンで見ているのは別の人格役の女優さんだけど、スクリーンの中の人たちに見えているのは主人格であるキョウコの姿という、なんともややこしい設定ですが、そのあたりはアヴァンタイトルで説明的に見せてくれますし、思ったほど違和感はありませんでした。4人揃っての人格会議が開かれたりするのは、ちょっと笑ってしまいました。

監督も始めて挑戦したという女性3人+男性1人の濡れ場。ある意味、バトルロワイヤルというか、格闘アクションシーンみたいですね。しかも、ボカシなどを入れずに、見せてはいけないところを隠しながら、くんずほぐれつするというのは、なかなか難しいことなのでしょう。舞台挨拶でも、事前にビデオコンテを作って、入念に作り込んだというエピソードを話されていました。AVとは違う、ロマンポルノの伝統技術と様式美といったところでしょうか。ちょっと、喘ぎすぎのような気はしましたが。

強烈なインパクトがあったのは、キョウコの母親役の根岸季衣。登場した瞬間に性悪オーラを撒き散らし、出会って3秒で「死ねばいいのに」と思わせる毒母っぷり。別人格として、キョウコの中にゆかり(母親と同じ名前)がいるのも、意味があるってことでしょうね。自分があの母親の血を引いていて、自分の中に淫乱で性悪な人間がいることが、どうしても受け入れられなかったんでしょう。それでゆかりという人格を分離したんだと思いました。

そう考えると、直美は、幼い頃の経験から男性を拒絶してまうキョウコに対して性的にも精神的にも愛するための人格。ハルは、あの経験を封じ込めておくための人格と、それぞれ意味があって、支えあって生きてきたのだと理解できます。

中田秀夫監督作品ですが、ホラー要素はほとんどなく、エロティック・サスペンスという感じですね。タイトルが「殺人鬼を飼う女」ですから、いったい誰が「殺人鬼」で、誰が「飼う女」なんだろうと、ちょっとミステリーっぽく見ていましたが、そこは思いのほかシンプルでした。もうちょっと犯人探し的な要素を期待していたので、ちょっと拍子抜け。上映時間が82分と短尺ですので、仕方がないのかなぁ。

ちょっと気になったのは、あのビストロの上司(オーナーシェフかな?)。放ったらかしじゃない?