映画「ミスター・ガラス」

アンブレイカブル」も「スプリット」も公開時に鑑賞しています。さすがに、この2作は見てからじゃないと、たぶん何が何やら分からないでしょう。作品の特性上、あまり詳しくかけないので、あっさりと感想を書いておきます。

1作目の「アンブレイカブル」は、X-MENシリーズのスタートと同じ2000年公開。MCU1作目の「アイアンマン」が2008年ですから、ある意味それらと並行して進んできたスーパーヒーローシリーズです。19年かけて、1人で広げた風呂敷に、力技できっちりと落とし前をつけました。自分がやりたいことを実現するために、豪快に身銭を切るスタイルは敬服いたします。

アンブレイカブル」で不死身のヒーローを見つけ出したイライジャ(ミスター・ガラス)が、「スプリット」の最凶のヴィランを自分の駒にして、さあ、何が起きるのか?という物語。

シャマラン監督の作品は、面白い、上手いと思うところが多々あるのですが、物語の結構重要なところで絶対に納得できない引っかかりどころも必ずあるというのが、いつもの感想。やはり、本作も、そんなところがあったりします。

冒頭の、通り魔的に通行人に暴行を加え、それを動画撮影するチンピラ(ネットに公開するのでしょうね)と、最後の展開が対になっているところなんか上手いなぁと思います。

タイトル通り、主人公はイライジャ(ミスター・ガラス)でした。彼の命と尊厳を賭けた戦いでした。それは、とても、悲しい戦いでもありました。テーマとしてはX-MENにも通じるところがありますが、たぶん、その前の段階を描きたかったということでしょうね。スーパーヒーローが当たり前にいるような世界になる条件とは何か?ということを考えたのでしょうね。

でもね、ジョセフやケーシーは巻き込まれた側だからいいとしても、少なくともイライジャの母親は、最後の展開で、わくわくどきどきしている場合じゃないですよ。イライジャは「アンブレイカブル」で、何人の命を奪っていると思っているのですか? 百歩譲って、本人にとってはヴィランとしての大願成就だったとしても、母親は彼の引き起こしたテロのことを無視していいはずがありません。

もちろん、優れた能力を誰にも邪魔されずに発揮ができる社会であれば、あんなテロを起こす必要はなかったわけですが。 

クライマックスの展開も、詳細は書きませんが、そんな仕掛けをする必要がないのです。そのまま、あそこへ向かえば、衆目を集めることができるのです。仕掛けのための仕掛けになっていませんか?

ということで、やはりモヤモヤが残る。もっと別の展開があったんじゃないかというのが、感想でした。