映画「四畳半タイムマシンブルース」

【タイムマシンの無駄遣い。でも「無駄」こそ学生の特権】

盆地特有の夏の暑さで蒸しあがるような京都「下鴨幽水荘」に集まる学生たち。唯一エアコンのある部屋の住人の「私」。しかし、悪友たちが、そのリモコンにコーラをこぼして水没させてしまう。そこに、モッサリした男子学生・田村が、25年後の未来からタイムマシンに乗ってやってくる。「私」たちは、そのタイムマシンで昨日に戻り、壊れる前のリモコンを持ってこようするが…という物語。

映画化もされたヨーロッパ企画の舞台「サマータイムマシン・ブルース」の物語を、森見登美彦の小説「四畳半神話体系」の面々が繰り広げるというもの。宣伝では「悪魔的融合」となっていましたね。

小説は未読。アニメ「四畳半神話大系」も観ていませんが、映画「夜は短し歩けよ乙女」は観ました。「サマータイムマシン・ブルース」については、舞台は観ていませんが、映画は観ています。

映画「夜は短し歩けよ乙女」は、独特のセリフ回しや飛躍した展開が、いまいち頭に入ってこなくて、ちょっとウトウトしたところもありました。しかし、本作は「サマータイムマシン・ブルース」のフォーマットがしっかりとあって、「あれが、タイムマシンでこうなって、辻褄があうように…」と考えながら観ていくので、ずいぶんと観やすくなったと感じました。彼らの諧謔的な台詞回しが、もともとある意味、演劇的で親和性が高いということもあるのかもしれません。

よく考えると、あのキャラクター達は、どの大学街にでもいそうな人物像を極端にデフォルメしているということかと思います。私の学生時代にも、何歳だか分からないような部室の主みたいな先輩がいたり、なんだか人をイライラさせるんだけど、結局いつも一緒にいる同級生がいたりしました。

そんな極端なキャラクターたちですから、やることも極端なんですよね。エアコンのリモコンが壊れたからといって、普通に考えると、葬式は執り行いませんよね。でも、そういう本気でふざけるという感覚は、学生時代だからこそのものだと思います。自分も、何人かで夜通し何十kmも歩くなんて企画をやっていました。ただ歩くだけで、特に何の目的もありません。ただ、やりたくて、それを面白がる人間が周りにいるというだけなんですよね。そこで作られる空気感なんですよね。

タイムマシンがあったら、もっと大きなことをやりたいという話が出てきてもいいはずなのです。それが、ただリモコンを取るためだけに昨日に行って、でも、未来を変えちゃいけない、つまり「何も起きない」状態を、必死で守ろうとするだけなんです。

タイムマシンの無駄遣いもいいところ。そういう無駄を、結果的には楽しんでしまうのが学生というもの。

そんなストーリーと、キャラクターたちの相性が、見事にハマっていました。

どの時代かは関係なく、学生時代を経験したことのある人であれば、どこか懐かしさを感じさせるのではないでしょうか。

そして、何といっても明石さんが、とてもいい。

セーラーカラーのよくわからないシャツワンピと、多色のスニーカーという、若干トンチキなファッションがいい。あごのラインに沿った、前下がりのボブという髪型もいい。それをキュッと後ろで結ぶのもいい。幽水荘の廊下のソファにもたれかかり、背もたれに後頭部をのせる仕草もいい。雪道をコケ続けるのもいい。古本市で本を選ぶ時の表情もいい。

「私」じゃなくても、完全にやられます。