映画「マイ・ブロークン・マリコ」

【がっつり食べることができれば、大丈夫】

ブラック企業で営業をしているシイノは、TVのニュースで幼い頃からの「ダチ」であるマリコがベランダから転落死したことを知る。父親から酷い虐待を受けていたことを知っているシイノは、懐に包丁をしのばせ、父親からマリコの遺骨を奪い、彼女が以前「行きたい」といっていた、まりがおか岬へ向かう…という物語。

以前、TBSラジオのアトロクで原作が紹介されていたのを聴いていましたが、Web上の試し読みだけで、原作は読んでいません。

予告編や紹介記事などを見ていると、かなりヘビーな映画なのかと想像していました。永野芽郁は、コメディエンヌのイメージが強いので、それをどう裏切ってくるのかと期待していました。

もちろん、テーマは重いものがあるのですが、どこか主人公シイノの言動はコントっぽい軽みがあります。ヤサぐれてはいるのですが、一方で、そんな自分を客観的に見て「死んでもマリコに振り回されて、何をやっているんだか」と自虐的に笑っているような印象も受けました。もちろん、そのうえで「ワタシにはマリコしかいなかった」のですから、切実さは変わりません。

軽みの原因の一つは、独白の多さではないかと思います。独白ということは、自分が考えていること、感じていることを言語化できているということです。それは、つまり、客観的に自分が見えているということになります。

「警察に通報されているかもしれない」と想像できるなら、遺骨をそのまま抱えて旅に出るのはおかしいですよね。少なくともバッグか何かに入れて、目立たなくするでしょう。目立ってしまうのを承知で「実は、誰かに見つけてもらって、止めてほしいの?」と思ってしまいました。

靴がなければ、その辺の店で安いものでも買えばいいのです。カビ臭いドクターマーチンを引っ張り出す必要はありません。

そういった行動が、考える余地もないまま、次々と展開していくのであれば、「いよいよ、テンパってるな」と思うところですが、独白とともにあると、それは衝動的ではなく、「衝動的な行動をとってやろう」という冷静な判断のうえでの行動のように思ってしまいます(全部が全部ではありませんが)。

もちろん、いいシーンもたくさんあります。牛丼に箸を立て陰膳にしているところ、その牛丼もしっかり平らげてあるところなんかは好きなシーンでした。居酒屋のシーン、駅弁のシーン、シイノが何かを食べるシーンは、ことごとく印象的で、彼女の性格がよく表れていて、いいですよね。遺骨と共に行く旅は、死への道行きを思わせますが、シイノはガッツリと食べるので、「こいつは大丈夫」と思わせてくれます。マキオも、そんな彼女の溢れ出るバイタリティを感じて「大丈夫」と思ったのでしょう。

マキオのセリフはことごとくいいですね。ところで、マキオはどうして歯磨きセットを持っていたのでしょう? シイノがそこにいるってことを知っていたわけではないですよね。歯磨き好きだから、いつも持ち歩いているとしたら、マキオ使用済み? いやいや、それはないよね。もしかしたら、彼女が夜中に何かしでかすんじゃないかと見回っていて、そこにいることは知っていのかな?と想像しました。無理があるかな。とにかく、彼の存在が、この物語を前向きなものにしてくれます。

そして何と言っても、奈緒演じるマリコのブロークンっぷりが凄いです。とにかく酷い環境のスパイラルでどんどん壊れていくのですが、逆に、表情が「無」になる瞬間とか、寒気がするほど。なぜマリコは、シイノに何も言わずに命を絶ったのか。それは、彼女に伝えたら力ずくで止めるか、逆に一緒に死のうとするかもしれないからでしょう。そして、マリコにとって、一番の願いは「シイノがシイノとして生きていていってくれること」。だから、何も告げなかったということではないかでしょうか。

物語は単純で、尺も短いのですが、かなり濃厚で、でもエンディングはさらっとしていて、「それでも人生は続く」という感じ。いつか、シイノは、ブラック企業で働いたお金で、マリコの手紙とともにハワイに行ったりするのかもね、と思わせてくれるような締め方でした。