映画「ロッキーVSドラゴ:ROCKY IV」

【おとなのロッキーIV】

ロッキー4/炎の友情」は、上映時に劇場で見ていますし、その後も何度かテレビ放送を見ていますが、今回、「どのシーンがどう入れ替わった」と把握できるほどの記憶はありません。「あぁ、ロボットメイドっていたよね」程度です。

上映時間91分中、42分を入れ替えたということですが、物語の本筋は何も変わっていません。しかしながら、確実に大人の作品になっています。

ロッキー1作目は、「アメリカン・ニュー・シネマを終わらせた映画」として知られています。もちろん、鬱々とした時代背景は色濃く、ロッキーは30代になっても何者にもなれず、貧困の中にいましたが、そこから、アメリカン・ニュー・シネマではお決まりの個人vs権威の構図を打破していくアメリカン・ドリームと人情の物語でした。

そして、シリーズが進むごとにエンターテインメント性が増し、ロッキー4に至っては、予告編でも流れていたグラブが激突して爆発する映像で、「おバカ映画」的な印象もあるかと思います。

そのおバカさ加減は、さすがに薄れています。

当時はオリンピックのボイコットなど、あからさまに政治がスポーツに影響していた時代です。アメリカvsソビエト連邦の冷戦構造と、アメリカの勝利による融和を色濃く打ち出していた本作ですが、今回は、個人と個人の戦いであるボクシングに国を重ねることがバカバカしく見えるように描かれていると感じました。プロボクシング進出に国の威信をかけているソ連側だけではなく、エキシビジョンマッチのオープニングのアメリカ側演出のやり過ぎ感には、みんなうんざりです(JBには申し訳ないけど)。

ロッキーvsドラゴ戦でも、ソ連の観客という「個人」はロッキーに声援を送るようになりますが、「国」を象徴する政府の高官たちの態度は変わりません。メインタイトルを「ロッキーvsドラゴ」としたのも、個人vs個人の戦いであることを強調したかったのでしょう。

ただし、クルマを運転しながら過去を回想する時のミュージック・ビデオ感は残ったままなので、80年代的なものを根こそぎ排除するということではなさそうです。

そして、アポロの軽さも薄められて、ちゃんと自分の戦いとしてドラゴ戦に臨むということになっています。ファイターの意志が、アポロからロッキーに継承され、それをロッキーがクリードに継承するということで、「クリード」シリーズにスムーズにつながりやすくなっているのではないでしょうか。

さらに、昔はサイボーグ的に見えていたドラゴも人間味が増しているように感じました。アポロ戦の際には幼さも感じました。それが、ロッキー戦では、徐々に人間性が備わっていくというか、言葉を交わさないもののコミュニケーションが成立していく過程のようにも見えました。アポロ戦とロッキー戦を通して、操り人形→自我の芽生え→人間性の獲得という成長過程を駆け抜けているようなもの。そして、人間性を得られたからこそ、この後、ドラゴがどのような扱いを受けるようになったのかを考えると、辛かったでしょうね。これも、クリード2につながる話です。

あと、昔は気にならなかったのですが、ドラゴ陣営のトップの政府高官と、ドラゴの妻って、デキてますよね。今回、妻のセリフがほとんどカットされたことで、そのことしか印象に残らなくなってしまいました。これもまた、ドラゴにとっては悲劇ですね。

しばらく「ロッキー4/炎の友情」を観ていないので、今回の再編集によるものなのか、私のおじさん化による解釈の変化によるものなのかは曖昧ではありますが、いい方向の歴史修正になってると思います。「ロッキー4/炎の友情」も、あれはあれでいいので、「今回のものが正史」ということにはならないでくださいね。