映画「プアン/友だちと呼ばせて」

【失敗や過ち、やり直しも、生きてこそ】

白血病で余命宣告を受けたウードは、かつての親友でNYでバーを経営するボスに連絡し、最期の頼みを聞いてほしいと告げる。タイに戻ったボスへの頼み事とは、元恋人たちを訪ねる旅の運転手。その旅も終わろうかというとき、ウードはボスにある秘密を告白する…という物語。

余命宣告を受けた人が、友人と一緒に死ぬまでにやりたいことをやるロードムービーというのは、まあ、ある話ですよね。「バケットリストもの」という表現があるかどうかは知りませんが、本作の中でもその前提で「リストにチェックする」といったセリフが出てきたりもします。

そのやりたいことリストが、「元カノに会いに行く」というのは、普通に考えたら「やめておけ」案件でしょう。過去の自分の至らなさを謝罪したいのだとしても、それは、やはり自分のためにやっていることで、相手にとっては迷惑でしかない。

実際、元カノ達は、それぞれ自分の道を前に進んでいます。病気のことは告げていないので、ギリギリのラインではありますが、それでも「あぁ、それでも、あなたとの時間は無駄ではなかった」という思いを、ある意味強制することになるってのは、どうなんでしょう。自分の道を進んでいるんだから、もういいじゃないですか。

TBSラジオのアトロクのインタビューによると、監督は制作のために実際に自分の元カノに会いに行ったそうです。人生を削ってますね。

ただ、オシャレな音楽使いと小物使い、テンポの良さ、スタイリッシュなカット割りなどで、なんだかいい感じに受け取ってしまう巧みさはあります。カクテルが象徴的なアイテムになっていますが、人と人とが混じりあうことで苦くも酸っぱくも甘くもなるなんて、出来すぎです。

2人が乗るクルマは、ウードの父親が乗っていた旧車のBMW。1960年代のクルマなので、父親が乗っている時点で、もう旧車です。しかも、2ドアクーペ。家族で乗るクルマではありません。ラジオDJという仕事といい、そういう人だったんだろなぁと想像できるところがいいですね。

あと、ウォン・カーウァイがプロデューサーということで、かつての香港映画へのオマージュでしょうか、まさかのジョン・ウー監督作品パロディーが挿入され、劇場のそこかしこで笑いが漏れていました。そのシーンを演じるのは、バッド・ジーニアスの主演のリン!

最初はウードとボスの人物像も語られないので、結局、元カノとの過去を振り返ることで、2人のことを知っていくことになります。私としては、「やるべきことじゃないけど、2人のことを知るために付き合うか」と思いつつ、「この物語はどう落ち着くんだ?」というところで、大きくサイドチェンジします。

本作は、カセットテープがキーアイテムになっていて、カーステレオで、ラジオDJをやっていたウードの父親の番組を聴いたり、元カノのタイトルがつけられたカセット(NY時代にカセットを使っているとも思えないので、2人の思いで出はなく、ウード自身が自分のために作ったミックステープ?)を流しながら過去を思い出したりするわけですが、物語全体がAOODパートとBOSパート、つまりA面とB面になっているわけです。

ここからが本編と言えば本編。そもそも、ウード自身は病気とは言え、クルマを運転できないわけではないので、運転手を頼む理由はありません。ボスをタイに戻させる口実ですね。もちろん、生きているうちに会いたいというのも理由でしょうが。B面は、ウードの元カノとの再会とは違って、過去の贖罪だけではなく、前向きな目的がありました。

この先は伏せておきます。

前半の「やめておけ」案件は、「失敗や過ちを後から帳消しにすることはできない。でも、新しい人生の可能性があるなら、とどまるべきではない。生きていないと出来ないことなのだから」ということなのでしょうか。

気になったのは、ウードがNYからタイに帰国してからの生活がどうだったのかが、ほぼ語られないこと。アリスとの関係が何でどうなったのか、よく分かりませんでした。ウードもボスもある時点から前に進めずにいたので、その間の描写がないということかもしれませんね。

ずっとカセットテープで音楽やラジオ番組の録音を聴いていましたが、ラストはスマホから。ここにも、意味がありそうです。

後半に入ってから、「あれ? そういえばタイトル出てないな。原題はなんだっけ?」と考え始め、「この展開だったら、タイトルはあれだよね」と思っていたら、ラストで納得。そうですよね。邦題もそのままでよかったのではないでしょうか。直訳しちゃうと「最後」と「最期」のダブルミーニングをうまく処理できないので。「友達と呼ばせて」では、松任谷由実の歌声が聴こえてきそうです。