映画「マイスモールランド」

【悪意も嫌悪もないけど、みんなが作る見えない国境の壁】

父・妹・弟とともに埼玉・川口に住むクルド人の高校生サーリャは、自分の生い立ちを同級生にもちゃんと話していない。唯一打ち明けられたのは、父親には内緒のアルバイト先のコンビニで知りあった聡太。しかし、難民申請が却下され、家族は在留資格を失くす。さらに父親が入管に収容され…という物語。

日本が難民の受け入れには積極的ではないこと、入管施設での扱いが酷いこと、クルド人が国を持っていないこと、そして、自分の地元である川口や蕨にはクルド人が多く住んでいること、そういうことは知っていました。

しかし、彼らの在留資格が一時的なもので、難民申請が却下されれば、即、困難な状況に置かれるなんてことまでは、恥ずかしながらよく知りませんでした。知ってはいたが分かっていなかったというか、目には入っていたが見ていなかったというか、この映画に出てくる多くの日本人と同じでした。

コンビニのお客の上品なお婆ちゃんも、難民申請の不認定を言い渡す役人も、高校の進路指導の先生も、バイト先のコンビニの店長も、アパートの大家さんも、誰もサーリャたちに悪意や嫌悪を持っているわけではありません(パパ活野郎は別として)。もちろん、クラスメイトも。でも、それは、「日本にいる外国人」という、一線を引いたうえでの受容なんですよね。そこからもう一歩は踏み込めないし、踏み込もうとは思わない。隣にいるけど、見えない国境の壁が確実に存在している。

そして、あの「仮放免」って、なんなんでしょう。

「強制退去は免れるけど、就労してはいけない」→え? どう生きろと? 父親が収容された時点で、未成年だけの家族なんですけど…。これは、野垂れ死ぬか、犯罪を犯すのを待っているような処置ですよね。

さらに、申請なく所在地から移動してはいけないということ。サーリャは、在留資格を失くす前から、進学費用を貯めるために、わざわざ荒川を渡って東京のおそらく赤羽あたりのコンビニでバイトしています。

これが、東京の高校生・聡太と出会い、親交を深めながらも、引き離されるというドラマにつながるわけです。東京にいる間に職質でもされたらどうなるのかとハラハラさせられます。ただ、そういうドラマの展開のためだけの設定ではなさそうに思うのです。

一つは、父親には内緒のバイトなので、クルド人コミュニティのみんなにもバレないように地元からは少し離れたところで…という理由。そして、もう一つは、埼玉と東京では最低賃金に差があるので、東京の方が時給が高いということもあったのではないかというのが私の想像。

サーリャは、バイト先で、聡太が、店長である叔父に頼まれてサービス残業していることを「しょうがない」と諦めていることに対して、同意しませんでした。「しょうがなくない」と。彼女は、筋の通らないことには、抵抗する人間なのです。それは、母国でクルド人への扱いに対して声を上げ続けてきた父親譲りのものかもしれません。

しかし、その彼女が次第に、自分たちに降りかかる困難に対して「しょうがない」と言い始めるところが、とても悲しい。

日本語しかしゃべれず、音を立ててラーメンをすすることにも躊躇のない妹とは違って、サーリャはクルド人としてのアイデンティティも持っていて、でも、ウェーブのある髪にヘアアイロンをあてたり、親が結婚相手を決めるような風習にはハッキリと抵抗する、両面で揺れる存在です。

もし、難民申請が認められていたとしても、自分のアイデンティティには悩むことになるでしょう。でも、自分でどう生きるかを悩んで選択することができるということが大切。父親も、それを実現させるために、最後の選択をしたんでしょうね。

ラストのサーリャは、「やはり強い」と思わせる表情を見せてくれます。ブツ切りのような終わり方ではありますが、それも当然です。現在進行中のお話なのですから、彼女のエンディングは、これから来る未来であり、そこには、私たちも関与できる余地がある。そういうことなのだと思います。