映画「シン・ウルトラマン」

【「人類には、守るべき価値があるのか?」自ら問うた言葉に答えられているか?】

私は1971年生まれですので、原作シリーズはリアルタイムではなく再放送、コロコロコミックの漫画などで親しんだ世代です。平成になってからのシリーズは見ていません。

当時は、格闘アクションや怪獣の造形の方に関心があって、ストーリーそのものは、あまり覚えていません。たまに、すごく地味な回や、おどろおどろしい回があったと記憶しています。巨大怪獣だけでなく、人間と同じ大きさの異星人も出てきて、特撮ヒーロー作品であると同時に、人間社会に異星人が入り込む、ある種の怪奇ドラマでもあったと思います。

次々と現れる怪獣(禍威獣)。対する科特隊(禍特対)。人類に味方して、禍威獣と戦う銀色の巨人。巨人はヒトと融合し、ヒトから変身する。巨人は腕から謎の光線を発射する。基本的には、すべて踏襲しています。

ゴジラと違って、ウルトラマンは新シリーズが作り続けられていますので、「新・ウルトラマン」というよりは、「真・ウルトラマン」に比重が置かれていると感じました。リメイクに近いですね。

原作では国際機関であった科特隊が、日本の防災庁の中に禍威獣特設対策室専従班(禍威力獣)として組み込まれており、政府とのやり取り、そこを通して国際的な駆け引きが見られるという点は、現代版ならではの面白さになっています(一方で、基本的に禍威獣に対応するのは自衛隊なので、メカやガジェット的な面白みはなくなっています)。

ウルトラマンの造形も、着ぐるみ感をなくすため、カラータイマーや背びれ、目の覗き穴が省かれ、体表もヌラヌラしていて、着衣なのか裸体なのか分からなくなっています。最初のオールシルバーのデザインもカッコいいですね。人間と融合することで赤が加わって、活動限界がその色で表現されるようになったってことかな。

特筆すべきは、予告にも出てきますが、山本耕史演じるメフィラスです。極めてIQが高く、戦略家で、無為に戦おうとしない。退き際も見事で、そっと出てきたあのキャラクターが、いかにヤバい奴だと認識されているかが、よく分かります。街をただ破壊するだけの怪獣ではなく、こういう怪獣が出てくるところがウルトラマンですね。紳士的で協力的、誠意を持って話しているように見えるけど、本当のところは分からない。人間の姿をしていても、明らかに何かが違うというところを見事に演じられています。映画を観た後に「私の好きな言葉です」を使いたくなってしまう、強いキャラクターです。

ここは、怪奇ドラマでもあるウルトラマンだからこそ出せる味わいです。

そこから、人間の弱さや愚かさが炙り出されてきます。簡単に自分たちの上位概念としての存在(つまりは「神」みたいなもの)を認めてしまうところ。禍威獣やウルトラマンの存在を国家間のパワーバランス、駆け引きの道具として使おうとする。昨日まで味方だと思っていた者を、手のひら返して総攻撃してしまうところ。他者の尊厳や羞恥など関係なくネットミームとして消費してしまうところ。

「人類には、守るべき価値があるのか?」という強い問いかけがあります。

ただ、シン・ゴジラのような、ドラマの盛り上がりはありません。原因はいくつかあるでしょうが、まず、シン・ゴジラが、形態変化があるとはいえ、基本的にゴジラvs人間の構図であったのに対し、本作は、次々と禍威獣が現れるため、どうしてもダイジェスト感が否めません。

もう一つは、禍特対パートの演出がイマイチだというところ。

例えば、神永が子どもを単独で救出に行くところ。禍威獣が襲ってきているのですから、普通に考えると自衛隊員が車両で向かうでしょう。全体を指揮する禍特対メンバーが抜けるなんてのはありえません。子ども向けドラマならではのツッコミどころまでも、引き継いでしまっています。

そして、しきりに「バディ」という言葉が出てきますが、仕事上、普通に使う言葉でしょうか。普通は「浅見は神永とペアで動いてくれ」とか言うのでは? 自分たちのことを自ら「バディ」と呼ぶものでしょうか。さらに、2人がバディになっていくプロセスが表現し切れていません。どうも「バディ」という言葉が浮いている印象でした。

あとは、有岡大貴演じる滝くんの見せ場である研究者会議。あそこは、ウルトラマンと人類が協働して、ラスボスに立ち向かうところ。ヲタクが地球を救うところ。それをギャグシーンにしてしまうのはもったいないです。 

そして、性的表現が指摘されて、話題になっているようですが、私も、観ながら気になっていました。

気合い入れで尻を叩くルーティンは、自分だけであれば問題はありません(それでも、あえてアップで写すか?という問題はあり)。ただし、男女関係なく、それを他者にそれを行うのはNG。しかも、物語上の意味がない。これが一番ダメ。

また、人類の巨大化そのものは、原作シリーズにもある話です。しかし、浅見のようなキャリアで、現場に赴くことも多い方であれば、エリート職員であっても、リクルートスーツのような恰好はしないはずです。パンツスーツでしょう。早見あかりのスタイリングはすごく良かったのに、どうしたのでしょう?

さらに、ベーターボックスの探知の件。わざわざ「今日こそシャワー浴びれると思っていたのに」と前振りがあって、「個体を特定する匂いは数値化できない」という言い訳のもと行われていますが、そうだとしても、着ていたジャケットを渡せば済む話。メフィラスの方に人類としての常識があるというのも、単にギャグとしてしか機能していなくて、「それで?」となってしまいます。

セクハラ表現かどうかの前に、「そんな行動しないよな」と演出の詰めが甘いと感じました。

私は旧作ファンといえるほどではないので気づきはしませんが、ファンへのサービスは「えっ、そんなところから引っぱってきたの?」というぐらい、モリモリに盛り込んでいるようですし、ストーリーやアクションは大満足なのですが、1本の映画として見た時に、どうしても「もったいない」と感じてしまうのでした。