映画「パリ13区」

【仕事も恋愛も、浮遊するように】

舞台はパリ郊外の移民が多く住む再開発エリア。電話オペレーターの仕事をしている台湾系のエミリーのルームメイト募集にやってきたのは、高校教師をしている黒人男性・カミーユ。一方、仕事を辞め、ボルドーからパリに出てきて大学で法律を学び直そうとしているノラは、パーティーでのウィッグ姿をポルノ配信のアンバー・スイートと勘違いされ、拡散され、大学にいられなくなり…という物語。

R18とは知らずに鑑賞。もちろん、そういうシーンも多い。登場人物の人種がバラエティに富んでいるので、重ね合わさる肌の色のコントラストが、カラーで見るよりも、むしろ際立っていたように思えます。そういう効果を狙ったのでしょうか。

単純化すると、男1・女2の三角関係なのですが、実際のところは、もうちょっと複雑。表面的には「男1人に女2人が振り回され、取り合っている」ということになるのですが、ちょっと違う印象を受けます。どちらかと言えば、エミリーとノラの女性2人に焦点があてられていて、カミーユは単に触媒のような存在のようにも見えました。

もちろん、彼は魅力的な男性なのでしょう。そのうえ、女性へのアプローチの垣根が低いというか、簡単に言うと「ヤリチ〇」。自分の考えを押し付けることもあるけれど、ちゃんと優しいところ、相手を尊重するところもある。でも、「お前、それはダメだぞ」というところも多々ある。面白いキャラクターではあります。

痴呆症のおばあちゃんや、吃音の妹が学校でスタンダップ・コメディに挑戦するなど、彼の周辺のドラマは多いのですが、彼自身は何をどうしたいのか、何が課題になっているのか、いまいちわかりません。ただ、地に足がついていないということは確かです。そういう意味では、ラストで、1歩踏み出したようにも思えますが、それさえも流されているようにも見えます。

エミリーとノラについては、まずは恋愛のことよりも、学歴や実力がありながら、安定的な仕事に就くことが出来てない。エミリーについては性格的な問題もありますし、ノラについてはボルドーにいれば安定的な仕事があったのかもしれませんが、それは決して本人が望んだ状態ではないということ。このあたりは、カミーユが置かれている境遇とはかなり違うので、なんだかんだで男女の差というものが、ここにもあるのかもしれません。

そして、エミリーもノラも、その状態では、恋愛に向かおうとしても、うまくバランスがとれないのではないでしょうか。ノラの結末は、とてもハッピーなものだと思いますが、エミリーに関しては、どうなのでしょう? カミーユと同じく、流され続けているようにも思えます(もちろん、すべてうまくいく必要はないのですが)。

そもそも、都市というのは「1人で生きていける場所」だと、田舎育ちの私なんかは思っています。でも、彼ら彼女らは、都市にいながら自分以外の誰かを求めています。そこまで寂しさや孤独感を感じるものなんでしょうかね。あるいは、寂しさに気づかないぐらい、バリバリと働ける場所もない。それが、パリとはいえ、郊外の再開発地区である13区の微妙な都市度ということなのでしょうか。

一方、このような映画を、モノクロで撮って、エレクトロな音楽をあわせてくるというバランス感覚が、面白いですね。例えば、弦楽器だけでアートっぽくなんてこともできそうです。それよりも、「今まさにこの時」という感じを出すには、この音楽ということなのかな、と思いました。

あと、どうでもいいことですが、ガンダムで育った日本男児としては、「カミーユという名前で、女性に間違えられる」というエピソードには、ニヤリとしてしまいます。