映画「ベルファスト」

【戦下の「サザエさん」か「ちびまる子ちゃん」か】

私たちが普段「イギリス」と読んでいる国は、正式名称をグレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)といいます。その北アイルランドの首府が本作のタイトルである「ベルファスト」。

1971年生まれの私にとって、「ベルファスト」という地名は、紛争とセットでニュースで見聞きしてきたもの。どうしても、ネガティブなイメージを連想します。

本作は、その紛争が始まった頃の話。バディ少年は、両親と兄、祖父母と暮らしていました。しかし、プロテスタントとカトリック(あるいは、親イギリス派と親アイルランド派)の衝突は、次第に過激化していき、彼の住むブロックでも襲撃事件などが起こるようになってきます。父親は新天地への移住を考えていますが、母親は生まれ育った街を離れることを望まず、家族関係にも摩擦が生まれ…という物語。

監督のケネス・ブラナーは、シェイクスピア俳優のイメージが強く、ゴリゴリのイギリス人だと思っていたのですが、彼の自伝的な作品とのこと。戦下の少年ということで「ジョジョ・ラビット」、監督の自伝的な作品ということで「ROMA」あたりを思い浮かべます。

冒頭は、現在のベルファストの映像。造船の街であることがよく分かります(タイタニック号もここで造られた)。そこから、時代を遡り、画面はモノクロになって、路地で遊ぶ子どもたち。バディ少年は、バケツのフタの盾に剣を構え、ドラゴンを倒しているらしい(ポスターにも使われている絵)。そこに、突如、暴徒が現れ、レンガを投げられたり、火をつけられたり、騒然となります。

この最初のシークエンスで、いきなり持っていかれます。想像上の戦いごっこで遊んでいた子どもたちの町に、突然、本物の争いが襲い掛かるのです。平和な路地の遊び場が一瞬で戦地になるのです。敷石を全部ひっぺ返して、積み上げてバリケードに使うなんて、ヨーロッパならではで、リアリティを感じさせてくれます。

過去の話は、基本的にモノクロで映されますが、バディ少年が好んだテレビドラマや映画、小説やコミックなどは、カラーになったりもします。灰色の世の中で、そこに彩りを感じていたということでしょう。その中に、後にケネス・ブラナーが監督することになるアガサ・クリスティ作品やマイティ・ソーなんかもあったりするところは、ちょっとしたお遊びですね。

基本的にバディ少年の目線で描かれているため、数十メートルぐらいの非常に狭い範囲で物語が進んでいきます。そのことが、逆に、あちらにもこちらにも、同じような話があったのだということを想像させます。

バディ一家はプロテスタントですが、この地域にはカトリックの信者も多いようです。紛争がなければ、普通の「ご近所さん」だった人たち。その中で、バディの父親は、あくまでも中立を守ろうとします。しかし、プロテスタントの仲間たちは、それを許しません。「自分たちに協力しないなら、お前は敵だ」となってしまうのです。つまり、これが「分断」ですね。自分の意志で自分の立場を選択できなくなるという状況がよくわかります。その虚しさを知っているからこそ、バディのお気に入りのクラスメイトの女の子(カトリック派の家族)と結婚できるのかという質問に対して、父親が答える言葉が、今の世の人々にもそのまま響く言葉になっています。

同じエリアに、バックボーンが異なる集団が複数いて、そこに他国の思惑が絡み、共生ではなく、分断が進んでいくというところが、意図したわけではないでしょうが、現在のウクライナ情勢と、やはり重なります。

私たち日本人にとっては、北アイルランド問題のこと、カトリックとプロテスタントのことなど、いまいち分かりづらい部分があります。でも、バディ少年だって、どうしてこんなことに巻き込まれているのか深く理解しているわけではありません。バディが教会で聴く、牧師の説教は、言葉の意味が分からなくても、なんだか邪悪なものであるように感じます。実際、ケネス・ブラナーがそう感じていたからこそ、このような表現になっているのでしょう。前提の知識がないぐらいが、起きていることの理不尽さを身を持って感じることができて、ちょうどいいかもしれません。

父親は大工の技術を持っているのでベルファストじゃなくても、どこでも生活していけるという見通しがある。しかし、母親にとっては、この街の人間関係こそが自分の財産で、移住するということはそれをすべて棄てることになる。この違いが、夫婦間の亀裂を生むことになってしまっています。

そんな中で、おじいちゃん、おばあちゃんが、とてもいいですね。おおらかで、皮肉屋で、ユーモアがあって、情熱的で、ロマンティストで。父親と母親が、少々うまく行っていないときに、この祖父母の存在は、少年にとって拠り所になっていたのでしょうね。

特に、最後のおばあちゃんの言葉「振り返るな」。バディ少年は、その言葉通り、前を向いて進み続け、その末に、自分を形作った人々と、自分を形作った作品たちを織り込んで、映画という作品にして、振り返ったと思うと、もうグッときませんか。