映画「パワー・オブ・ザ・ドッグ」

【邪悪な犬の力から救出成功? 邪悪な犬はすぐそばに…】

昨年、見逃していたのですが、アカデミー賞前にまたイオンシネマで上映されていたので、観てきました。「西部劇」という情報以外、何もない状態で見始めました。「西部劇」といっても、1920年代ですので、いわゆる開拓時代ではなく、高速道路の整備が始まり、自動車の時代がやってくる頃の話。

モンタナ州で大きな牧場を経営する兄フィルと弟ジョージのバーバンク兄弟。2人は牛追いの道中で訪れた宿を営む未亡人ローズに出会う。ジョージはローズに惚れ、結婚することになる。宿屋を引き払い、バーバンク家で同居することになるが、フィルは、ローズとその連れ子ピーターのことが気に入らない…という物語。

フィルは、粗野で下品で、女性や先住民に差別的、いかにも古いカウボーイといったところ。最近よく言われる「有害な男らしさ(Toxic Masculinity)」が馬に乗っているようなもの。でも、一方で、イェール大卒のエリートで、ラテン語に精通し、音楽・読書を嗜むインテリでもある。不器用な弟の面倒を見てきたのも彼。二面性のある人物であることがわかります。さらに、話が進むと違う一面が見えてきます。

弟のジョージは、カウボーイルックではなくスーツを纏い、知事や有力者たちとの渉外担当のようだが、ちょっと要領を得ない人物。フィルたちにからかわれたローズ親子を心配する優しさも持っている。そういう意味では、時代にあわせて「男らしさ」をアップデートしているように見えます。しかし、結婚後は、妻が兄によく思われていないと知っていながら、妻を残して出張に出かけてしまう。ローズのことを愛しているというより、有力者たちとの交流のためには、美しく、ピアノも弾けるローズのような妻がいると丁度いいと思ってただけのようにも見えてしまいます。

また、ローズも、どこまでジョージのことを思っていたのかは微妙。フィルが指摘していたように「ピーターの学費を払ってくれる人が欲しかっただけ」と言われれば、確かにそうかもしれない。そう思えるほど、息子ピーターへの精神的な依存度の高さが印象的です。

ピーターは、線が細く、スラっとしていて、花や動物が好きで、紙細工できれいな造花を作って店に飾るような繊細さもあり、フィルたちからは「お嬢ちゃん」とからかわれるような中性的な少年。一方で、どこか不気味で冷たいところがあって、うさぎの扱いには、ギョッとしてしまいました。亡くなった父親は、彼の内なる姿に恐怖していたかもしれません。母親ローズもそれを知ってのうえで、彼に接しているようにも見えます。

そんな一筋縄ではいかない人物たちと、なんとも緊張感があふれる不穏な空気の中、ドラマが展開していきます。造花の花弁をぐちゅぐちゅしてみたり、革で編んだロープをしごいてみたり、どこか性的なニュアンスのある描写が強調されているので、そういう事件が起きるのかとも思っていました。

そんな緊張感の中で、あることがきっかけで、急にフィルとピーターが接近するようになります。フィルは、かつての自分の姿をピーターに見ていたのかもしれません。ピーターはフィルの秘密を知ったことで、これまでどうしてもフィルの男性性を受け入れられなかったものが、少し自分の方が優位に立って接することができるようになったのかと思っていました。

そこからのラストの展開です。いやー、驚きましたね。「あぁ、あのシーンはそういうことだったのか。それまでに、あんなシーンもあったから、違和感なく見ていたけど、そういう意味だったのかー」と、やられましたね(ネタバレになるので、詳しくは書きませんが)。

そして、その結末から考えると、果たしてローズの夫の死因は本当は何だったのか? そこから疑わしくなってきます。文芸大作っぽい感じなのかと思ってたら、ミステリー的にも非常に楽しめました。