映画「ハウス・オブ・グッチ」

【偽物の野心と執念。でも、事実を超えられていないのでは】

現在50歳の私は、この映画で描かれているグッチのお家騒動を、リアルタイムで見聞きしてきました。この時代のグッチは、確かに高級ブランドではあるけど「ダサい」という位置づけだったと思います。おじさん・おばさんブランドの象徴という感じでしょうか(今となっては、レトロで味があるとも思いますが)。「グッチと言えばトム・フォード」のイメージが強い方には、驚きの物語でしょう。

何がすごいって、この映画、グッチが全面的に協力しているんですよね。この映画が、ブランドイメージの毀損にはならないとい判断したってことですよね。それはそれで凄いですね。

ということなので、ある程度のストーリーは知っているうえで、鑑賞しています。結末を知っていても、長尺を楽しんで見られました。それでも、かなり端折って、時系列も入れ換えて、整理整頓した物語だと思います。結論から言うと、間違いなく面白い映画なのだけど、事実の方がもっともっとブッ飛んでいるというところではないでしょうか。

レディー・ガガは、「アリー/スター誕生」もよかったのですが、あちらは「歌」ありきの役柄で、当然、今回は歌はありません。でも、レディー・グッチことパトリツィアがハマってましたね。夫のマウリツィオ・グッチとの出会いも、ちゃんとグッチ家に興味を持ったことがわかります。野心的で、かつ独善的で、本人は気づいてないのでしょうが、自分の欲望を「あなたのため」「子どものため」と、臆面もなく擦り替えることのできるモンスターぶりが最高です。

グッチの偽物に関するくだりがあるのですが、ここがとてもいい。グッチの本筋であるアルドは、「グッチを買えない庶民が、偽物を買うのだから放っておけ」という態度なのですが、パトリツィアは徹底的に排除するように主張します。今の常識で言えば、パトリツィアの言っていることは正しいのですが、偽物のグッチ=パトリツィアとも言えるわけで、自分を排除することを主張しているようで、皮肉がこめられた、いいシーンでした。このあたりから、パトリツィアとグッチ一族との間には壁があることがハッキリしてきます。

アダム・ドライバーのマウリツィアの垢抜けていない感じもいいですね。実際、パトリツィアの介入がなければ、グッチのトップに立つほどの才覚はなさそうです。

彼らの上の世代、創業者グッチオ・グッチの息子であるアルドとロドルフォの兄弟(当初、グッチの株を半分ずつ持っている)のキャラクターもいい。なんだか、ゴッドファーザーを観ているようでもあります。拡大路線でそこそこビジネスの才覚のあるアルドと、芸術家肌で伝統重視のロドルフォ、どちらも際立ったキャラクター。特に、アルドは、ただのビジネスマンではなく、職人としてグッチの商品に対する思いの強さも分かるシーンもあって、魅力的な存在でした。ここからの展開も最高です。

可愛そうなのが、アルドの息子、マウリツィオの従兄のパオロです。アルドにもロドルフォにも、けちょんけちょんに言われていました。方向性は間違っていなかったと思うのですが、いかんせんデザインもビジネスもセンスがなかったということでしょうか。彼の演技はちょっとカリカチュアライズされ過ぎのような気もします。実は、レディー・ガガとアダム・ドライバー以外のキャストは知らないまま見たのですが、エンドロールを見るまで、ジャレッド・レトが出ていることに気づきませんでした。

実際のところは、パトリツィアがいなかったとしても、そこそこお家騒動はあったと思いますし、実際のグッチの実権争いは、もっとややこしい攻防があったようで、グッチ家は自滅していたのではないかと思います。そういう意味では、ドキュメンタリーの方が、もっともっと面白くなったのではないかと思います。

どうでもいいことですが、おそらく皆さんイタリア語っぽい発音の英語でしゃべっていると思うのですが、ちゃんと英語を使う人が聴いたらどう感じるのでしょう? 渡辺徹の関西弁みたいに聴こえるのでしょうか?