映画「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」
【結婚=幸せではない。でも結婚を否定もしない。すべては自分の選択】
映画館再開後、初の新作映画は、「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」でした。もちろん、本当は3月ぐらいに見ているはずだったのですが。
私自身は「若草物語」を小さい頃にジュニア向けの読み物で読んだ記憶はあるのですが、TVアニメも含めて、これまで映像作品などは見ていませんでした。
原題は、原作通りの「Little wemen」。ということは、邦題も「若草物語」でいいとも思いますが、明確に意図がありますよね。この「マイ・ライフ」が、誰にとっての「わたしの」なのか。次女ジョーのことだとすると、もともと彼女が中心の物語ですので、あえて「わたしの」は要らないでしょう。ジョーだけでなく、4姉妹それぞれにとっての「マイライフ」なのではないでしょうか。さらに、この「わたし」は、原作者のオルコットであり、監督であるグレタ・ガーウィグでもあるのだと、私は受け取りました。
物語は、三女ベスの容態が思わしくないということで、作家修行中のニューヨークから次女ジョーが帰省するというところから始まります。つまり、原作2作目「続若草物語」の流れのなかで、少女時代のエピソードが回想としてパッチワークのように織り込まれていきます。これが、正直いって、分かりづらい。今見ているシーンが、いつの時代の話なのか、理解するまでに時間がかかりました。ある程度、原作を知っていないと、困難かもしれません。
でも、それを乗り越えて見ていくと、少女時代のシーンは、映像としてはまさに「若草」をイメージするような暖色が多く、現在進行形のシーンでは、やや重々しい寒色が多いということに気づきます。少女から大人への成長は、若草物語の重要なテーマですね。
また、冒頭のジョーの衣装が、とてもいい。男装ではないのですが、紳士服の意匠を取り入れたような衣服をまとってスタスタと街を行く姿は、それだけでも、ジョーがどのような人物なのかをあらわしています。
マーチ家の隣(といっても、離れている)の大邸宅に住むローリーは、誰がどう見てもハンサムな顔立ち。でも、ただ線が細く、甘いだけ、優しいだけのイケメンではなく、資産家に生まれた自身の身を呪っているというか、自由がきかない人生には嫌気がさしているという印象を受けます。だからこそ、自由奔放なジョーに惹かれるのでしょう。ホールの外でのダンスは、そういうことなのだと思います。
末っ子のエイミーは、私の記憶では、わがままというか、お姫様志向というか、そういうイメージで捉えていました。本作でも、ジョーとは違う形で自由ではあるのですが、一方で画家としての自分の才能の限界に悩み、それならば自分が生きるすべは何があるのかと考えたうえで、金持ちとの結婚という道を選ぼうとします。その道しか選びようがないというのが、当時の社会の問題ってことですね。
長女メグも、「女性の幸せは結婚すること」という当時の価値観を、そのまま疑わずに結婚を望んだわけでは決してないことが、ジョーとの会話で語られます。彼女は、マーチ家に余裕があった頃の生活も経験しているので、その当時の生活に対する憧憬を捨てることもできない。それでも、決して裕福とはいえない夫を選ぶのですから、彼女が大切にしたのは何だったのか、ということです。
メグとは違う形で大人だったのが、ベス。ぶつかりあう姉妹を見つめ、自分の人生を見つめ、病弱で内向的ではあるものの、なんだかんだで自分がやりたいピアノについては、どんどん前に進んでいく。意識していたかどうかは分かりませんが、結局、マーチ家とローレンス家を結びつけていたのは、彼女なのでした。
原作者オルコットが生涯独身でフェミニストであったことから、「結婚だけが女性の幸せではない」というところが注目されそうですが、大事なのは「結婚するか、しないか」ではなくて、「自分の生き方を自分で選択できるか」なのだと思います。マーチおばさんは、そうやって自分の生き方を選択していく姪っ子たちを見て、憎まれ口をたたきながらも、微笑ましく思っていたのではないでしょうか。
ラストの展開は、原作から改変されている…というより、これはもしかしたら、映画ならではの映像的マジックが使われているのかもしれません。つまり、原作は改変せずに、私たちがジョーだと思って見ていた人物は、あるシーンでは実は…。この仮説を確認するために、もう1回見てみたい気もします。
一点気になったのは、ローリーがエイミーの何に惹かれたのか?というところ。ヨーロッパで過ごした日々で何かの変化があったのでしょうが、それが何なのかが説明されていません。エイミーがローリーに惹かれる理由はわかるんです。小さい頃から憧れだったし、本質的なところをズバッと言ってくれるのですから。でも、ローリーの方は…? うーん、ここが説明不足だと、どうしてもエイミーが「ジョーの身代わり」になってしまうような気がします。違うとは言っていましたが。
こういう4姉妹モノの物語だと、女優同士の演技のぶつかり合いも、なかなか見ものです。そういう意味では、次女ジョー役のシアーシャ・ローナンと、末子エイミー役のフローレンス・ピューは、設定の上でもぶつかり合う関係でしたが、演技合戦としても、いい意味でバチバチするものがあったのかな、と勝手に想像してしまいます。長女役のエマ・ワトソンが横で見ているのかと思うと、メイキングの4姉妹も見てみたいです。
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