映画「リチャード・ジュエル」

アトランタオリンピック期間中の音楽イベント会場で、爆弾が仕掛けられているのを発見し、何人もの命を救った警備員が、ヒーローと報じられた数日後に、FBIから容疑者と見られていることを地元紙に報じられ、一転して犯人扱いのメディアリンチが…という、実話に基づいたお話。

クリント・イーストウッド監督作品としては、「まっとうに仕事をしていたはずの人物が、なぜか疑われ…」ということで、「ハドソン川の奇跡」とやや重複しているような印象です。違うのは、主人公は、ベテランなどではなく、警察職に憧れる定職を持たない太っちょ警察オタクというところ。そして、間違いなく無実であることが本人には分かっているということ。

冒頭で、リチャードの人物像が描かれるのですが、確かに、ちょっと「おや?」と思ってしまう人物なんですよ。「人々を守りたい」と警察職に憧れる一方で、ちょっと行き過ぎるところがある。見方によっては「自分を警官だと思い込んでいる、ヤバいやつ」です。

例えば、中小企業庁で備品担当をしているときに、後にタッグを組む弁護士ワトソンのデスクやごみ箱を確認して、スニッカーズ好きだと気付いて、勝手に補充してしまう。これは、観察眼があり、気づかいもできる人間であることと同時に、「そこまで、やっちゃいけないんじゃない?」というところまで踏み込んでしまう性格が読み取れます。ワトソンの電話の内容を聞いていたりもしましたね。2人で一緒にシューティングゲームをするシーンは大好きですが、一方で、彼の危うさに気付いたからこそ、ワトソンは「将来、警官になったときに、権力を振りかざすクズにはなるな」と警告したのではないでしょうか。

この違和感が、後々、爆弾犯の容疑がかけられたときに、完全に裏目に出ていくところが、よくできています。現実としては、なんとも不運な話なのですが、エンターテインメントとしてはとてもいい味付けになっています。彼の部屋から、次々と銃器が出てくるところは、ほぼギャグシーンでした。

さらに、面白いのは、彼は自分が法執行官のつもりですから、自分を取り調べるFBIの捜査官たちに対して、「仲間」として、とても協力的なのです。自宅に証拠品を押さえに来たFBIに対して、荷物を運ぶのを手伝ったりしています。しかも、自分が犯人でないことはよく分かっていますから、一点の曇りもない。サービス精神旺盛。そのうえ、爆弾に関する知識を嬉々として披露してしまうので、ますます怪しい。そりゃあ、ワトソンでなくてもイライラしますよ。

決定的な証拠はないにしても、一時的に彼が疑われることはやむを得ないことのように感じます。そのこと自体はFBIに問題はない。ただ、そのときに、彼を犯人とは言えない状況証拠があるにもかかわらず、あえて無視するところは、大問題ではあるのですが。

また、彼が容疑者としてFBIの監視対象になっていることを報じた新聞社も、 容疑をかけられていること自体は事実ですから、誤報とは言えません。ただ、それが報じる段階にあることなのか、その後にどのような影響があるのか、何も考えてはいなかったようです。新聞社としては地元メディアとして、とにかく他社を抜きたかった。担当記者は、自分のキャリアにしか興味がなさそうでした。

見る前に、この女性記者の描写について批判があるということは知っていました。映画も、ジャーナリズムの一端を担うメディアです。彼らなりのリサーチで、確かにそういう関係にあったという判断があるのならば、話は別ですが、メディアリンチを扱った作品で、事実とは異なる描き方をして、「いや、そもそも、あなたのやり方が間違っていたんだから、こちらに文句を言うのはおかしい」みたいな姿勢だったとしたら、それはアウトだと言わざるを得ません。

いったん立ち止まって、少し冷静に考えれば、ブレーキがかけられたかもしれないことが、いったん転がり始めて、広がり始めると、もう後戻りできません。FBIとしても、監視対象がこんなことになってしまったら、さらに急いで強引にでも手を打たなければならなくなります。メディアも「我先に」と殺到します。「狂騒」という言葉がぴったりです。

「もし、これが、インターネット、そしてSNSが普及した現在の話だったら…」と想像してみるのが、この映画の正しい見方であり、この映画が作られた意義、ということでしょう。 その中で、多勢に無勢だけど、無実であることを確信しているリチャード本人と母、そして弁護士ワトソンが「反撃だ!」となるところは、一緒に拳を突き上げたくなります。

いまいち入り込めなかったところが2点。FBIが証拠を捏造しようとしていると思われる行為にまで、リチャードが協力していたところ。なぜタッパウェアやビデオテープまで押収するのか、その理由を冷静に判断して解説できるリチャードが、その音声が何に使われるのか想像できないということはないと思うのです。それとも、本当に自分の無実を証明してくれると信じていたのでしょうか。

また、最後の最後の反撃で、リチャードがショーに浴びせるひと言の質問。ドラマとしては、もちろん、リチャード本人が発することに意味があるのですが、「そもそも、ワトソンが、最初の最初に発するべき質問なんじゃないの?」と思ってしまうのですが、どうなんでしょう?