映画「フォードvsフェラーリ」

マーケティング的にスポーツイメージを打ち出したいフォードが、フェラーリに買収を蹴られた屈辱を晴らすため、ル・マン優勝経験のある元ドライバーでカーデザイナーのキャロル・シェルビーにチームを作らせて、ドライバーのケン・マイルズとともにル・マン24時間耐久レースを戦うという物語。

大量生産の象徴でもあるフォードは、これまでどちらかというと敵役的な位置づけになりがちで、「珍しくフォードに肩入れする物語になるのか?」と思いながら見始めましたが、やはりフォードはフォードでした。裏切りません。

タイトルは「フォードvsフェラーリ」で、確かにフェラーリはライバルではありますが、シェルビーたちにとっては、「戦う相手」というより「乗り越えるべき壁」。彼らが本当に戦うべき相手は、クルマを売ることにしか興味のないフォードの経営陣でした。つまり、構造としては「職人vsビジネス」あるいは「現場vsマネジメント」の話でした。 

まあ、「巨大資本をバックにして、新参者が短期間のうちに名門チームを打ち負かす」物語よりは、当然、こちらの構造の方が観る側の気持ちも入るというもの。映画作りにも同じようなシチュエーションはありそうなので、作り手側も力が入るところでしょう。組織の中では起こりがちな軋轢なので、クルマに興味がなくても、十分楽しめるものだと思います。

面白いのは、シェルビーとマイルズの微妙な立場の違いですね。シェルビーが思い描くブレーキポイントにぴったりあわせてくるマイルズは、同じレベルで世界を共有することができる心強いパートナーです。しかし、心臓疾患のためにドライバーを引退したシェルビーにとっては、他者に迎合せず、いちドライバーとして走りを追及し続けるマイルズに対して、嫉妬のような感情もあるのでしょうね。それが、時に「こっちの立場も考えろよ」という衝突を生むのだと思うのです。

少年漫画かと思うような取っ組み合いのけんかをしたりもします。でも、殴ろうと缶詰を手にした瞬間に思い直して手放す程度の、じゃれあいの喧嘩でもあります。わざわざ玄関先に椅子を出してきて、その喧嘩を観戦するマイルズの奥さんも、なかなかの人物です。普通の感覚だと、いつ死ぬか分からないレースドライバーの妻なんて、ちょっとやってられないと思うのですが、彼女はそれも込みでマイルズのことを認めているので、彼が迷い始めると煽ったりするんですよね。珍しいタイプのキャラクターです。

実話に基づいているのでネタバレも何もないのですが、フォードはフェラーリに勝ちます。そのプロセスの中で、やはりフォード経営陣は、シェルビーのチームに、スポーツマンシップには反するようなオーダーを出してきます。シェルビーとしては、マイルズにそれを伝えないということもできたわけですが、伝えたうえで判断をマイルズに任せます。マイルズが、それを受け入れるかどうか。すでに7000回転の向こう側で「完璧なラップ」を記録することができた彼にとっては、そんなオーダーなんてものは、どうでもいいことになっていたのかもしれません。

フェラーリの総帥であるエンツォ・フェラーリも、すべてを分かったうえで、彼に敬意を表したということなのでしょうね。そして、すぐにシェルビーとマイルズの2人は、クルマの改善点を確認しあう。静かですが、とてもアツい場面でした。

ただ、全体を通してですが、2人の男の物語に絞り込んだため、モータースポーツの重要な要素である、メカニックの存在がやや薄くなってしまっている印象がありました。特にル・マンのような耐久レースでは、どんなに速く走ろうが、最後まで走り続けない限り勝つことはできません。開発にも携わっているマイルズだからこそマシンの限界を知ってギリギリまで攻めることができるわけですが、それを支えているのがメカニックたちです。製造責任者のフィル・レミントンは、いい役回りではありましたが、もうちょっとテクニカルな部分がクローズアップされてもよかったのではないかと思います。グレーゾーンではあるものの、ブレーキ交換システムの開発など大きなポイントになったはずですが、さらりと流されていたように感じました。