映画「マリッジ・ストーリー」

離婚についての物語だけど「マリッジ・ストーリー」。つまり、離婚を描くことで、反転的に結婚を描くということでしょう。また、結婚を描くことで、その前提にある恋愛を描く。つまりはラブ・ストーリーです。 

事前情報ナシで観に行ったので、冒頭のお互いのよいところを列挙するシーンでは、舞台演演出家と女優という恵まれた才能を持ちながらちょっとダメなところもある、ほのぼのカップルの、トレンディ(笑)なラブコメディかと思っていました。しかし、それが「しゃぶりあってろ」のひと言とともに、すぐにひっくり返されるので、いきなりハートを持っていかれた感があります。

チャーリーとニコールの2人の会話が中心。2人の役柄がそうさせるのかもしれませんが、舞台演劇として上演しても面白そうだと感じました。

確かに、チャーリーは、妻として母として、そして女優として二コールを見ているものの、ちゃんと自立した個人として見ているわけではなさそうです。息子に対しても同じで、しっかりと子どもとの時間を確保して、いわゆる子煩悩に見えるのだけれど、自分の価値観を押し付けがち。ちょいちょい「チャーリー、それはダメだよ」と声をかけたくなります。離婚話も、話し合えばなんとかなると思っているけど、自分の考えを曲げるつもりはないので、たぶん解決はしないでしょう。

二コールも、2人の成功の喜びをともに分かち合うことはできても、自分の成功ってなんだろうと考え始めたときに、自分だけが我慢していることに気付き、そのことにまったく関心を持たない夫に対して、このまま夫婦関係を続けることは難しいと思い始めたってことでしょう。でも、「いや、その前に、話し合うべきなんじゃない?」と思うところが多々あります。でも、彼女が求めているのは話し合いではなく理解と同意で、「OK、そうしよう」のひと言だけなので、そこで行き詰ってしまいます。

芸能という特殊な仕事をしていることとは関係なく、古今東西を問わず、世のカップルであれば、何かしらこういう衝突やすれ違いは経験していそうな話です。

2人は離婚の話を始めた現在でも、相手を思いやることも、相手のために行動することもできています。しかし、それで2人の間の問題が解決ができるかというと、結婚という枠組みを維持したままでは、やはり難しいから、離婚話を進めるということなのでしょう。

そして、離婚訴訟を請け負う弁護士たち。特に、二コールが依頼したノラは、ちょっと悪役っぽく見えてしまいますが、彼女が、依頼人の要望を超えてでも裁判での勝ちにこだわることには、確固たる理由があることが後に語られます。彼らの仕事は、ひたすら依頼主に最大限有利な判決が出るように戦術を展開すること。決して相手が憎いわけでもないし、相手を責めたいわけでもない。だから、訴訟前のミーティングでトコトンやりあいながらも、嬉々としてランチブレイクをとることもできる。

でも、2人が決して望んではなかったはずの方向に、どんどん話は展開していきます。まあ、酷い裁判です。それを引き起こしているのは、紛れもなく当人たち。2人は相手を貶めてまでも自分に有利な離婚にもっていきたかったわけではないのですが、弁護士にとっては「離婚裁判ってそういうものだから」ということなのでしょう。それが分かっているからこそ、温厚な弁護士バートは、この件を法廷に持ち込むことを避けていたのでしょう。

そして、当人たちも、裁判以上に酷い罵り合いを繰り広げることになります。お互い話し合いが必要だと思っているはずなのに、なぜかうまくかみ合わずに、相手を責め、自分を責め、ここのグルグルとした展開は、頭がクラクラします。でも、これが人間だよな、とも思います。

作品の中で、何度かボードゲームのモノポリーが出てきます。相手が破産するまで続けて、最後には勝者が「独占」するのがこのゲーム。象徴的ですよね。また、二コール、チャーリーそれぞれが歌うシーンがありますが、この対比も面白いですね。

興味深いのは息子ヘンリーの態度。明確に父親に冷たい態度をとっています。もちろん、LAに行ってからは母親と過ごす時間が多くなって、新しい生活の方が楽しいので、自然と距離ができてしまうというところはあるかと思います。でも、あまりにも、あからさまではないでしょうか。映画の中では、両親の離婚いついてヘンリーがどう思っているのかは描かれていません。私は、ヘンリーが極端な態度をとるのは「このままだと、こうなっちゃうよ」という彼なりのメッセージ、現状への拒否反応のような気がするのです。

そう思うと、ラストでのヘンリーの様子は、とても自然なものに感じます。