映画「旅のおわり 世界のはじまり」

ウズベキスタンで、ひたすら前田敦子が迷う映画。でも、それで退屈しないところが面白い。

前田敦子が演じるのは、「世界ふしぎ発見」のような海外ロケ番組のレポーター葉子。ちゃんとレポーターの仕事はしているのですが、どこか所在なげ、心ここにあらずという雰囲気。海外ロケの日本人クルーなら、仕事が終わって、晩御飯ぐらいはみんなで食べるものじゃないかと思うのですが、彼女は基本的に単独行動。これも「自分の居場所はここじゃない」と思っているからこそなんでしょうね。

街に出ても、常に早歩きで、街の風景などはほぼ見ていない。バザールに出ても、店の人とのコミュニケーションは逃げるように拒絶する。

圧倒的に「ひとり」なんですよね。

あと、葉子の街歩きにはもう1つ特徴がありました。なぜか歩道や横断歩道を使わずに、車道を横切ったり、土手を登ったり、「なぜそのルート?」という歩き方をします。これは「猫か? 猫なのか?」と思っていたら、ちゃんと猫も出てきます。逃げる猫を葉子が追いかけていたら、次のシーンでは…。うーん、やはり、猫なんでしょうね。

全編ウズベキスタン撮影ということで、現地の言葉が飛び交うわけですが、翻訳字幕などはなく、コーディネーターのテムルが通訳してくれる以外は、私達観客も現地の人が何を言っているのかは分かりません。ある意味、葉子と同じ環境に置かれるわけです。ウズベク語なんてまったく知りませんから、彼女の境遇も、少しだけなら理解できます。普通は「ありがとう」ぐらい覚えていくとは思いますが。

そして、染谷将太が演じるディレクター吉岡が、いかにも感じ悪くて、とてもいいですね。ディレクターなんだけど、人のアイデアを否定することはあっても、自分からは何もアイデアを出さない。現地の人が協力してくれないと、すぐに金を渡して解決しようとする。うまくいかないと、「この国の人間は…」と大くくりで決めつける。葉子には「葉子はどうする?」と質問形で実質的に指示を出して、葉子が自分から進んでやっているという形を作る。「視聴者が望んでいない」とは言うものの、自分が表現したいというビジョンは皆無。「これまでで撮れ獲、どれくらい?」とカメラマンに聞く。いや、それを判断するのはあなたでしょうよ。徹底して、感じ悪くて、いいですね。

途中で、葉子の「本当にしたいこと」が、彼女の口から語られます。それに対して、加瀬亮演じるカメラマンが、自分が本来ドキュメンタリーをやりたかったことと、今のバラエティの撮影の仕事を重ね合わせて、あることを言います。ここは、ラストの展開につながっているのでしょう。

このまま、何が起きるということでもなく淡々と話が進むのか…と不安になってくる頃、例によって葉子が放浪中にある劇場に迷い込んだところから、話が転がり始めます。

しかも、「なるほど、そのシーンを撮影して、葉子が本当に自分がやりたいことに近づいてハッピーエンドかな」と思っていたら、そんなシーンはばっさりと省略されて、思わぬ方向に展開します(まあ、日本・ウズベキスタン国交樹立25周年記念の映画ですから、そこまで現地で酷いことにはならないだろうと思ってみていますが)。

ラストは、「ウズベキスタンの風景×前田敦子」という、この映画そのものでした。

ところで、このポスターもいいですよね。

普通、人物が向いている方向はスペースを空けるものですよね。そうしないと、圧迫感というか、先がないように見えてしまう。 でも、目線が右に向いているので、その圧迫感がないんですよね。 そのままだと行き詰まっているけど、ちょっと別の方向に向かおうとしている。そして、その方向は映画のお約束として「右=未来」という。 この映画の展開をそのまま表しているようにも思えます。