映画「ドント・ウォーリー」

filmarksさんの試写に当選したので、観てきました。 

風刺漫画家ジョン・キャラハンの自叙伝の映画化ということなのですが、本人のことは全く知りませんでした。まあ、この手の漫画はあまり日本では注目されないですからねぇ。

アルコール依存症だったキャラハンが、一緒に飲みまくった男の運転で交通事故に遭い、四肢麻痺で車椅子の生活となった後、風刺漫画家として人生を取り戻していく物語…と書くと、漫画を描くことがある種のカウンセリングとなって、生きる力を取り戻す物語のように思ってしまいます(私も、そう思ってました)が、それだけではありませんでした。

もともとロビン・ウィリアムズがずっと映画化に向けて動いていたとのこと。彼自身がアルコール依存症を患っていたそうですから、いろいろ思うところがあったんでしょうね。そういえば、ホアキン・フェニックスもそんな話がありましたよね。もし、ロビン・ウィリアムズが本作の主役をやっていたら、「まあ、いい人だよね」って感じが強すぎていたかもしれません。結果的に。ハンサムの香りがぷんぷんするホアキン・フェニックスで正解だったかもしれません。 

展開は、時系列が行ったり来たりだったので、ちょっと呑み込むまでに時間がかかりました(最後まで理解し切れていないところもあるかもしれません)。最初は、ジョンに、感情が移入できないどころか、共感もできないというか、ムカつくぐらいでした。車椅子生活になったのも、自業自得以外の何ものでもありません。さらに、車椅子生活になっても、アルコールを手放すことができません。周囲に強くあたったりします。 

でも、禁酒サークルに通うようになって、禁酒プログラムを進めていくうえで、「なぜアルコールに溺れるようになったのか」「今の状況を作ったのは、何が悪かったのか」を突き詰めていくと、ちょっと見方が変わってきます。「まあ、自分だって、他人のせいにしたまま放っておいたことなんて、たくさんあるしね」とも思い始めました。

この禁酒サークルが「なんだか宗教っぽい」と訝しむ人がいるかもしれません。私も、最初はそんな角度で観てました。でも、ちょっと違うと思うんですよ。なぜなら、禁酒サークルのリーダーでありスピンサーでもあるドニーは神のことを「チャッキー」と呼んでいるのです。ホラー映画のキャラクターですよ。つまり、冗談宗教というか、宗教ごっこをしていることで、むしろ、宗教に頼らないということだと思うんですよ(試写会で配られた資料の中にリメイク版の「チャイルド・プレイ」のチラシが入っていたのは、なかなかよくできたネタだと思います)。

結局、「最悪な状況になっても、そこから立ち上がることはできる。そのためのトリガーはいろんなことろにある。最後は、自分自身が立ち上がるかどうか」ということかな、と感じました。

ちょっと面白かったのは、ジョンの創作手順。一コマ風刺漫画であれば、まずネタを思いついて、それを絵にするというのが普通なのだと思うのですが、どうやら彼は、まず描きたいビジュアルがあって、それをいかに面白く見せるかということで背景となるストーリーやセリフを練っていくというプロセスを踏んでいるように見えました。これは、新鮮でした。

本作の原題は「Don't Worry, He Won't Get Far On Foot」なんですね。 映画のなかでもちょっと出てきましたが、これは、彼の作品の1つです。  


カウボーイに追われた何者かが、車椅子だけを残して逃げていった。 「心配ない。奴は自分の足では遠くには行ってないはずだ」ってことですね。 これ、作中でドニーが語ったひと言「弱いほど、強い人間になれるんだ」に呼応していると思うんですよ。だから邦題の「ドント・ウォーリー」だけだと、その意図が伝わらないんじゃないかな、と思ったのでした。