映画「ボーダーライン」

見逃してた「ボーダーライン」「ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ」が、池袋の新文芸坐で2本立てになっていたので、観てきました。 

ちょっと前に、イーストウッドの「運び屋」を見てきたので、ある意味、関連作品ですね。

面白かったのは、主人公であるFBIの捜査官ケイトが、まったく活躍しない、いや、むしろ足手まといになっているということ。

自分が携わった誘拐事件の首謀者と見られるメキシコの麻薬カルテルのボスを追うために、国防総省のマットにスカウトされ、チームに加わるというのが物語のスタートです。まず、このマットとチームの顧問のアレハンドロが、とにかく謎の人物。2人はメキシコの麻薬カルテルには精通しているようなのですが、ひと癖もふた癖もある人物で、味方のはずなのですが、ほぼ正体不明のうえ、まったくケイトには情報を渡さない。

でも、これが、うまく機能しているんですよね。

観客である私たちも、いったいどこで何が起こっているのか、そして、チームがどこに向かっているのか、さっぱり分からない。 私たちは、ケイトを通して疑似体験するように、頭を混乱させながら、この事態の本当の姿を追うことになるのです。

これは面白い!

そして、なぜケイトがそのような立場に置かれるのかも、意味のあることだということが、明らかになっていきます。

冒頭の誘拐犯のアジト襲撃では、直視に耐えられない描写もあるのですが、そのほかは、直接的な残虐描写は避けつつ、「えげつないことしてるんだろうなぁ?」と想像させる、上手な演出だと感じました。水責めって、どういう拷問なんだろう?

さらに、何度か挿入される父子は、なかなか物語に関わってこない。「何だろう?」と思っていたら、「ここか!」というタイミングで物語に絡んでくる。こういうのも面白いですねぇ。

本作の原題は「Sicario(スペイン語で殺し屋)」ですが、邦題の「ボーダーライン」は、ぴったりですね。 もちろん、メキシコ国境地帯の物語ということなのですが、そのほかにも、善と悪、敵と味方、倫理と私怨、正義と復讐、さまざまな境界線がぐっちょんぐっちょんになった物語でした

もちろん、原題の「殺し屋」も、意味のあるタイトルだということも分かります。