2019年3月24日「有安杏果サクライブ2019」当選
2019年3月24日(日)の「有安杏果サクライブ2019」(EX THEATER ROPPONGI)に当選しました。この文章は、彼女の交際や事務所のことなどが明らかになって以来、Web上でのあれやこれやを見つつ、なんとなく思いつくままに書いては消してを繰り返していたものです。ブログに書くかどうかは決めていませんでしたが、これを機にまとめ直してみました。
有安杏果の活動再開の発表があったところで、私は、こんなエントリーを書きました。
本人も明言は避けていましたが、ももクロ卒業は、ソロ活動を見越したものであることは明らかでした。だから、活動再開は当然のことだと受け取っていましたが、唯一意外に思ったのが「個人事務所」というところでした。
その後の本人からの発表、および報道で、その個人事務所がどういったものかが分かることになります。
かつて、コサキンの番組だった思いますが、彼女は「ももクロを辞めたら、食べていける気がしない。長く生き残るにはどうしたらいいか?」なんて質問を小堺さん・関根さんに投げていました。裏を返せば「ももクロを辞めるという選択肢はあって、でも、芸能界で生きていきたいという希望は持っている」という意味でもあります(そこまで、明確には考えていなかったと思うけど)。
以前、どこかのインタビューで、あーりんが「『ももクロのアイドル』ってのは、本来は、杏果のためにある言葉」といった趣旨のことを言っていました。この発言の背景には、「自分ならば、極端に言えば一人でも何とかすることができる。でも、杏果は、心配になってしまう、思わず手助けしたくなるような存在」という、あーりんにとっての杏果像とアイドル観があります。
そんな彼女が、「ソロでやっていこう」と考えるようになったということは、ひとつ成長したということなのだろうとは思いましたが、事務所のサポートなしでやっていこうとまで考えていたというのは、想定外でした。
しかも、その事務所の代表が…ということです。 「年齢差が…」「公私混同が…」「医師の倫理が…」「依存が…」と、いろいろ声が上がって広がっていくのは、今の世の中、避けられないことかもしれません。
それでも、もし、彼女が今後、ソロ歌手として優れたパフォーマンスを見せてくれるのであれば、今、話題にされていることは、一般的には受け入れられないかもしれないけれども、ある意味、その世界に生きる者の「業」みたいなものだという言い方もできます。
また、スキャンダルになっても、何%かの固定ファンが残るだろうから、これぐらいの規模で活動していけば、ビジネスとしても成立する…みたいな目論見ができているのだとしたら、そのためには医者でもおじさんでも使えるものは使ってやろうと思っているのであれば、それはそれで強かなものだと思います。
実際のところは、私たちにが知り得ることではありません。
「5人のももクロを壊した」みたいな言い方をされることがありますが、「自分がやりたいことを押し殺して、グループとか組織とか会社のために我慢する」なんて、もう、そんなことを押し付ける時代ではありません。もちろん、私もずっと続けばよかったと思っていますが、それは「本人たちが望んでいるならば」という前提の上での話です。
いろいろな将来の可能性があったにもかかわらず、10代で突然亡くなってしまった子を、私たちは身近に見てきたではないですか。今、やりたいこと、できることがあるなら、思い切って一歩を踏み出すことを、私は否定できません。
公式に出てきている情報や、ネットで囁かれている情報を見れば、私にも週刊誌に出ていたようなストーリーは想像できます。ももクロ脱退からの大きな動きも、最近のSNSでの細部の文章表現も、「不器用にもほどがある」と思います。もっと、上手なやり方があったはずです。ももクロ時代は彼女の魅力の1つであったはずの不器用さが、今は裏目に裏目に出ているということでしょう。
でも、それをもって、本人やお相手を非難しても、何のプラスもありません。「そんなことで不満や憤りを発散しようとする自分」を見出してしまって、さらにストレスが溜まってしまいそうです。
今年の正月の、杏果のインスタのコメントを見て、私はこんなツイートをしていました。
杏果のインスタ、みんなが呟いているような「感動!」よりむしろ、「これで、いよいよ触れなくなるのかな」という寂寥感の方が強い
— かんげ (@MMCL20100403) December 31, 2018
そして、杏果の活動再開に際し、ももクロ公式サイトに上げられたメッセージは、このコメントに対するレスポンスのようにも感じたものです。
いよいよ、決別の時が来た、ということです。
喧嘩別れではないかもしれませんが、次に出会うことを想定していない寂しい別れのように感じました。喧嘩別れの方が、まだ未来があったかもしれません。武陵桃源があったかもしれません。
今となっては、このような状況から、彼女が出してくるものをどう感じるのか、もう、それだけです。そして、そのパフォーマンスの裏にあるものを、いろいろ想像して、推理して、ニヤニヤしたり、モヤモヤしたり、憤ったり、寂しい気持ちになったりして物語を楽しむだけです。ハッピーな物語であれば、それに越したことはありません。
現在のももクロの4人は、昨年1年間、そういったパフォーマンスを見せてくれました。「4人は必然」と大見得を切って、それを現実のものとしようと必死でやってきたわけです。「ももクロで、できることは全部やった」と言い放った杏果に対して、初めての本格的なミュージカルをぶち上げて「まだまだ、やれることは、いっぱいあるんだよ」というメッセージだと私は受け取りました。
そして、杏果のターンが来ました。アイドル路線ではないでしょうが、1人の歌手の活動開始のタイミングとしては、かなり状況は悪いです。世間的にはヒールになっています。
お笑い芸人のプチ鹿島さんは、プロレスの楽しみ方として「半信半疑」という言葉をよく使います。
疑うことなく全て信じたらそれは「オカルト」(最終地点はカルト)に通じてしまうし、信じることを全くしなくなったらそれは「ニヒリズム」(最終地点は価値と潤いの無い世界)に通じてしまう。だから様々な角度からワクワクできる「半信半疑」でいいのだ。
芸能界です。浮世舞台の花道は、表もあれば裏もあるのです。早見あかりは「裏も表も全部見せるのがももクロ」と言っていましたが、それでも、見せられないものは見せられません。川上アキラも「言えないことは言えない」と言っています。
だったら、「信」か「不信」の二者択一ではなく、半信半疑のスタイルで、「あの時にコメントが、この歌詞につながるんじゃないか」とか、「このインタビューは、あの事件を受けてのものだな」とか、自分のストーリーを自分で楽しんだほうが健全です。そのストーリーを人にぶつけるのもいいですが、ネット上にいるのは文脈を共有している人とは限らないということも忘れないようにしたいものです(自戒も込めて)。
基本原則は、「見てから決めろ」ですよね。
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