映画「ハード・コア」

以前「愛しのアイリーン」のアフタートークの際に、山下監督から配られたのが、本作「ハード・コア」のチラシでした。生きることに不器用な男の話ということで、共通点がありますよね。  

また、先日見た「ギャングース」ともつながります。ギャングースの3人は、一般社会に居場所がなく、アウトローの世界のさらに隅っこにいたわけですが、本作の右近や牛山は、そんな世界にさえも居場所がない、ほぼ社会的には居ないことになっているような人たちです。 

右近は、「純粋で、自分の信念を曲げることができない」という人物ですが、私には、その信念がどういうものか、よく分からなかったです。「自分が間違いだと思うことは黙っていられない」は、信念ではなくて性格です。何を主張しているのかよく分からない右翼団体に所属していますが、右近本人にも主張があるようには思えません。ただ、自分に居場所を与えてくれたという恩義でくっついているだけでしょう。実は、右近には「こうありたい」という思いがないのではないかと思います。だからこそ、弟の左近に「自信がないのを、ハードボイルドでごまかしている」と突っ込まれてしまいます。ここ、いい台詞でした。 

その左近は、要領よく社会と折り合いをつけていくタイプで、兄の右近と対照的なキャラクターの位置づけですが、兄に対して、ちょっとした憧れもあるんですよね。だから、「親に命じられて」と言いつつも、兄の様子をちょいちょい見に来るんですよね。クールで世の中を斜めに見ている感じではあるものの、兄の仲間には、ちゃんと「牛山さん」「ロボオさん」と、敬称で呼ぶところなんか、ちゃんとしている奴です。2人ともタバコの吸い方が似ていて、「あぁ、一緒に育ってきたんだな」と感じます。この2人の関係性が、実際にはなさそうで、でも、ありそうで、とても良かったです。 

右近が世話を焼いている同僚の牛山は、言語障害があるらしく、ほとんど台詞がありません。表情や所作、そして感情で演じているわけです(ヨダレでも演じてましたが)。これは荒川良々以外に誰が演じるんだ?というような当たり役かつ名演でした。 

そして、「ギャングース」におけるヒカリのような存在が、ロボットのロボオ。これまで、右近に頼るばかりだった牛山が、ロボオの登場により、世話を焼く側にまわることで、変化が生まれます。また、牛山とロボオには、「しゃべれない」という共通点があるのも、面白いところです。  

ロボオの存在を誤魔化すために、「そういうコスプレした人だ」ってことにしてしまおうという作戦がバカっぽくて最高です。そして、それが通じちゃう優しい世界。この一連の流れが、とても良かったです。 

現代の科学水準を超えた人型自律ロボットが登場するぐらいなので、リアリティとか、あまり考えてはいけないのですが、一方で妙なリアリティがあるんですよね。インスタント麺の袋に貯めこんだ小銭2万円とか、「牛山ならやってそう」と思います。牛山の家族の、牛山に対する距離感も、さもありなん。リアルではないけど、リアリティはあるという感じ。コメディの中のリアリティって、とても大切だと感じました。  

付け足しのラストシーン(原作には、ないらしいです)。本人たちにとっては、とても幸せな展開のですが、日本という国にとっては、まったくもって希望のない話ですよね。最後の最後で、こんなにハッピーで、でも冷たいオチを持ってくるとは!