映画「ギャングース」

負け続け人生で、表社会に居場所のない若者3人組が、一発逆転の再起をかけて、巨悪を相手に大一番を仕掛けるというだけで、ぐっと来るものがあります(それが、犯罪でも)。  

主役の3人は、いずれも、これまでの作品での役柄から、窃盗団を演じるというのは、いまいちイメージできませんでした。 でも、やはり、高杉真宙はクールな好青年でモテるし、加藤諒はコメディリリーフで楽観的だし、渡辺大知は「勝手にふるえてろ」や「寝ても覚めても」で見たあの感じだし、パブリックイメージを引き継いでいます。 これは、特別な世界の特別な人間が犯罪に手を染めるわけではなく、誰もがどこかで歯車が狂っしまうのだということを表しているのかなと思ったりします。 

六龍天(組織的詐欺集団)も同じです。「ちはやふる」のヒョロくんがいたりしますから。オーナーの安達にしろ、番頭の加藤にしろ、途中でその生い立ちが明きからかにされますが、基本的には、「与えられえいないから、奪うようになる」その構造の拡大再生産なんですよね。 

与えてもらっていないものは、さまざまなです。単純に「愛」とも言えますが、「よく生きる術」であったり、「教育」であったり、「機会」であったり、いろいろです。 

それは、ラストシーンのサラリーマン2人の会話と対をなしていますね。 彼らの会話は、現在の日本の一般社会の認識を代表するもの。 でも、この映画を観てきた私たちにとっては、「何言ってんだ!」と、思わず立ち上がりたくなってしまうもの。 

本作が、単に漫画原作のエンターテインメントというだけでなく、その原作漫画のさらに下敷きであるノンフィクション「家のない少年たち」のジャーナリスティックな視線もしっかりと受け継いでいるということだと思います。 

3人が廃バスを根城にしているということで、「きっと、彼らのタタキはバレて、このバスも燃やされちゃうんだろうなぁ…」と、ヒリヒリと想像しながら見てました。  

物語のなかで大きく変わったのは、ヒカリでしょうね。別れのシーンは、とても印象に残ります。 もちろん本心では彼らと別れたくないのですが、ヒカリは納得した上で、自ら施設へ向かいます。 これの何が切ないって、これまで大人からさんざん邪魔者扱い、お荷物扱いされてきた経験が染みついているんですよ。まだまだ、わがまま言ってもいい年頃なのに、聞き分けが良すぎる。 でも、ケンジに対しては、少し自分の意思を叩きつけました。これができただけでも、彼女に未来があるように思えます。希望のヒカリです。 

「万引き家族」「フロリダ・プロジェクト」と重なってきますね。  

もちろん、気になるところはたくさんあります。 

ストーリーは、基本的に一本道。 ちょっとした、ひっかけが1つ2つありますが、観客には想像がつくもの。 もうちょっと、大どんでん返しがあってもよかったかな。特に、高田やアゲハは、もっと面白い動きをしてくれるものだと思っていました。  

さらに細かく見ていくと… 
なぜ、ヒカリに見張りをさせたのか? 3人と出会うだけならば、事務所で寝てるだけでも良かったのでは。
安達本人の情報、安達の金の動きの情報を得る過程が、ちょっと都合よすぎ。
終盤、今の日本では2つの可能性があるのに、なぜ1つに絞れたのか。そもそも、金を持ち出すのは困難では?
…などなど、疑問点は出てきます。  

そして、あれだけ牛丼推しているのに、なぜかタイアップしているのは、家系ラーメンチェーン…。何でだよ! 牛丼食わせてやれ!