映画「女子高生に殺されたい」

「女子高生に殺されたい」という欲求だけで、高校教員になった東山。表面的には人気者のイケメン先生だが、その裏で生徒たちを巧みに操って、自分の計画を遂行しようとする。ところが、学生時代の同級生で元恋人の五月がスクールカウンセラーとして同じ学校に赴任してきて…という物語。

今はネット予約なのでいいのですが、窓口でチケット購入の時代だったら、このタイトルは、なかなか険しいですね。城定秀夫監督で、河合優実が出演ということで、観てきました。もう1人の主演の南彩良はNetflix映画「彼女」で水原希子演じるレイの高校生時代を演じていた方ですね。眼力の強さが印象的でした。

ジャンルとしては、ホラーでもなく、オカルトでもない、サスペンスといえばサスペンスかな。病理サスペンス。思い浮かぶのは「耽美」「奇譚」「怪奇」といった、江戸川乱歩のようなキーワードです。完全犯罪の企みをフェティッシュに描くというところは、やはり乱歩を連想します。

東山の「オートアサシノフィリア(自己暗殺欲求)」は、自殺願望とも殺人欲求とも異なるもの。自殺は自分ひとりで完結することができる。殺人は一人では欲求を満たすことができず、他者を「被害者」というかたちで巻き込むことになる。オートアサシノフィリアも他者を巻き込みますが、相手は「加害者」という形で被害を受けることになるという、とてもややこしいもの。だからこそ、ドラマになるということでもありますが。

東山は、そのことも想定して、自分を殺す相手が罪に問われないよう、事故を装って殺される策を考えます。一見、自分の計画に巻き込んで殺人者と扱われないよう、相手に配慮をしているように見えます。でも、実際は、相手はどういう形であれ「人を殺した」ことを、自分ひとりで一生抱え込んで生きていくことになります。やりかたによっては、人を殺したけど罪に問われなかった人として生きていくことになる可能性もあります。そのことに思いが至らないあたりが、彼の病理です。

前半は、東山が誰に殺されようとしているのか、つまりキャサリンは誰なのかというところでストーリーを引っ張っていきます。後から知ったことなのですが、ここは映画オリジナルの演出なんですね。1人エピソードが薄い人物がいるので、だいたい想像はつきますが、面白い演出だと思います。後半は、五月の介入で、東山の計画が最後まで実行されるのかというサスペンス。

田中圭のキャスティングは絶妙です。チャラい系のイケメンではなく、誠実系のイケメンなので、生徒に人気の先生の外面と、裏で計画していることのギャップが大きい。「哀愁しんでれら」もそうでしたが、しゃべっていること、やっていることはまともに見えるけど、常識のラインが完全にズレていて。絶対アタマの中で何かがおかしいという人物には最適です。

エンディングは、東山にとって「生きること=”殺され”を求めること」であることがよく分かります。生と死が一体であること。周りから見れば、それは病気であり狂気なのですが、本人にとっては何の矛盾もなく、殺されることこそ生きることなんですよね。

ただ、五月の対応としては、彼女なりのケリの付け方のような感じで締められていましたが、臨床心理士としても、元カノとしても、それでよかったのでしょうか? こっちはこっちでちょっとズレてるんじゃないの?と、少し疑問でした。

あと、細田佳央太が演じる川原。お前、とことんいい奴だな。馬鹿みたいにまっすぐというだけでなく、保健室で地震を感じた時に、サッと真帆とあおいに掛け布団をかけて保護するという咄嗟の判断と行動力! これまでに何度か同じようなことを経験してきたのでしょう。ずっと、彼女たちを何とかしたいと思ってきたのだと想像できる、いいシーンでした。