映画「ドリーム・プラン」

【成功したからこそのオレ流。薬と毒は紙一重】

テニス未経験の父親リチャードが、ヴィーナス、セリーナの2人の娘を、白人ばかりのテニスの世界でチャンピオンにまで育て上げるという、実話に基づく物語。

ウィリアムズ姉妹が主役ではなく、あくまでの父親のリチャードが主役。そして、この父親リチャードが、良くも悪くもクレイジー。

「成績がAでないと、テニスはさせない」

「自慢するな。謙虚であれ」

「幼い頃から試合をさせて、燃え尽き症候群にはさせない」

大前提となる考え方は、大いに賛同できるものです。でも、その態度・手法は、独善的で傲慢で、毒親紙一重だと思うのです。特に、コーチの指導に介入するところは、イライラしてしまって、見ていられませんでした。それでも、コーチが受け入れざるを得ないほど、姉妹のポテンシャルが高かったということでもあるんでしょうけど。

もちろん、リチャードの「自分が子ども達を守らなければ」という思いは理解できます。クラブハウスや試合会場に行くと、ウィリアムズ一家以外は白人ばかりであることに気づきます。そして、子どもに期待をかけて、結果を出すためにカリカリしている親ばかりです。この環境で娘たちをトップに立たせようというのです。どれほどのリスクがあるか。白人コーチやメディアには、本当のところを理解するのは難しいことなのでしょう。

でも、リチャード自身が「行き過ぎる」性格であることは、コンプトンのストリートギャングに対する対応で、よく分かります。子どもたちに対しても、いくら「試合が終わったら自慢するな」を教えるためとはいえ、あれは虐待です。もちろん、そうしなければいけなかった環境で生きてきたのだろうし、そうしなければ生きてはいけないと娘に伝えたいということは分かるのですが。

そんな家族をなんとか成立させてきたのは、妻・オラシーンの貢献です。彼女がリチャードに反論するシーンが、この映画のクライマックスと言ってもいいでしょう。彼が「娘のため、家族のため」と言いつつ、いかに自分に都合よく、その物語を作ってきたかががよく分かります。セリーナのことも、後々リチャードは、それっぽくプランの中にあったように声掛けしていましたが、フォローをしていたのは、オラシーンです。

そもそも「ドリームプラン」が本当にあったのかどうかも怪しいものです(一度もそんなノートは出てこなかったですよね)。

そういう困った父親ですが、唯一、娘に無理矢理テニスをさせているわけではないというところが、救いではあります。本人たちが、自分から「テニスをしたい」と思えるように、楽しめるように、褒めちぎったり、ポジティブな声がけは「これでもか」というぐらい発していました。

トッププレイヤーに、まず必要なのは、そこだと思うんですよね。ジュニアの試合で、対戦相手の白人の子どもたちのイライラしている感じ、悲壮感さえ漂う感じは、親からのプレッシャーで「やらされている」ということですよね。最初にコーチを依頼する際に、2人は、コーチから目標を聞かれました。その答え方の違いで、結果的に誰がコーチを受けることになったかと考えると、親の目を気にするのではなく、「自分で自分の目標を持っている」ということが、トッププレイヤーには必要だということだと思います。

てっきり原題も「Dream Plan」なのだと思っていたら、全然違っていて「King Richard」なんですね。これは、リチャードに対する「王様気取り」って皮肉が入っていますよね。また、シェイクスピアの「King Richard III」の女性を操って王座を手に入れた暴君も連想させます。ウィリアムズ姉妹も、この映画に全面的に協力されているようでしたが、思いのほか父親の陰と陽の両面が描かれていて、そのことを感じさせない邦題は、ちょっとどうしたものかと思いますよ。