映画「Coda コーダ あいのうた」

【自分の人生を生きること、難しい境遇をプラスに転換すること】

元のフランス映画「エール!」は、劇場公開時に鑑賞しました(試写会だったかもしれません)。

まずは、「聾者の家族の中で、唯一聴者である娘には歌の才能があって…」という設定の強さですよね。

家族の誰も娘の歌を聴くことができない。どれほどの才能があるかを、誰も理解することができないわけです。そして、娘が自立して家を出るということは、家族をサポートする者がいなくなることを意味します。もう、これだけで、十分にドラマです。

この設定だけを聞くと、娘の成長と家族との衝突、葛藤で、落涙必至の感動作を想像してしまいます。確かに心が動かされますし、確実にウルウルと来ますが、この家族は性のこともあけすけに話す、かなりオープンな人たちで、なかなかの下ネタが連発されるコメディの要素も強いのです。原作では「フランスの家族って、こんな感じなのかな」と思って見ていましたが、アメリカを舞台にした本作でも、しっかりと引き継がれていました。

障碍者は、小さく静かにしていなければいけないなんてこと、まったくないのです。障碍者だからといって、正しい人間である必要もありません。お調子者であっても、バカであっても、わがままであっても、シャイであっても、もちろん、どスケベであっても、それは体の機能とは関係ないことなのだということを、改めて分からせてくれます。

一方、原作と変更された点がいくつかあります。まずは、家族の仕事が、酪農から漁業に変更されている点。娘が一緒にいなけば、船上で無線も使えない、警笛を聴くこともできません。危険です。家族ぐるみで仕事をしなければいけない理由が強化されています。

彼らの水揚げが他の漁師よりも買い叩かれているような場面もあります。「聾者だから」という明確な描写はありませんが、交渉できないことに付け入られていることは想像できます。原作が、村の工業化を阻止すべく父親が村長選挙に出馬するというフィクション度の高そうな展開なのに対して、家族の追いつめられ方がシリアスです。

また、兄弟が弟から兄に変更されています。これによって、なんとか漁業を続けていこうとする両親と兄と、それを支えたいと思いつつも歌の世界へ進みたいと葛藤する娘の構図が、よりシンプルになりました。お兄さん、粗暴ですが、妙にモテるし、妹に対してもいいヤツでしたね。

このように家族側のドラマが強くなっている一方で、校内イベントでの合唱や、オーディション(実技試験)など、ぐっとくるシーンはそのまま引き継いでいます。

やはり、オーディションでの彼女のパフォーマンスは、おそらくあの場で同じことができる生徒は誰もいないはずで、彼女が音楽の世界を広げる可能性を持っていることがよく分かります。また、音楽というのは、伝えたい相手がいてこそ成立するものだと改めて認識できます。

原作からの変更点は、すべて成功しているのではないでしょうか。

聾者が世界をどう感じているのか、観客に体感させるシーンがありますので、周囲に生活音のない劇場で観るのが一番いいと思います。このシーンは、最初は絶望的に感じるのですが、それでも、娘の歌が素晴らしいものであることを理解することはできるということがよく分かります。

「おっ」と思ったのは、かなり重要なシーンでの手話のやりとりで、字幕が出てこないところがある点。でも、私たち観客は、何と言っているか想像できます。映画「ドライブ・マイ・カー」の韓国手話も、なんとなく気持ちは伝わってきました。今回は、あえて、字幕を出していないのでしょうね。「もう、分かるよね」と。観客も、彼らの世界の一部に入り込んだような気持ちにさせてくれます。