Netflix映画「彼女」試写会

【どれを選択しても当たりのない、あみだくじの逃避行】

filmarksさんの企画で、新宿ピカデリーで行われたNetflix映画「彼女」の試写会に当選したので、行ってきました。

主演の水原希子・さとうほなみの2人と廣木監督が登壇する配信直前イベントの後に上映です。

トークでは、重いシーンの撮影の日がさとうの誕生日で、みんなにお祝いされたものの本人の気持ちが上がらず戸惑ってしまった話、そして、水原は役のためにかなり追い込んでいたため、その日のことが全く記憶に残っていないという話が印象的でした。

夫から壮絶なDVにあっている七恵は、高校時代から自分に思いを寄せている同性愛者レイに10年ぶりに連絡し、夫の殺害を依頼する。殺させた女と殺した女の2人で行く末の見えない逃避行が始まる…という物語。

「突発的に殺人を犯した2人の逃避行」というのは、映画の世界ではよくある話ではあります。

レイは裕福な家庭で育った同性愛者で現在はよきパートナーもいる美容整形外科の医師、七恵は貧困と父親のDVから逃げるように金持ちの夫と結婚したら、その夫もDV男だったという境遇。七恵は、自分のために夫を殺したレイに対して、嫌悪感さえ感じています。「刺し違えてくれたら、まるく収まったのに」という、なかなか毒のあるセリフが印象的です。

でも、七恵にとって、レイがどうでもいい存在なのであれば、殺した後の彼女をクルマで拾わなければいいだけの話。そうすれば、自分は夫を殺された悲劇のヒロインとして、生きていくこともできます。でも、七恵はレイを拾って、クルマに乗せてしまいます。ひと言ではまとめることのできない、とても複雑な感情が入り混じった2人の逃避行なのです。

そういう流れですので、どう考えても、この道行きがハッピーで終わるはずがありません。行きつく先は、死か、ぶっ壊れるか、警察に追いつめられるか、そんなところしかありません。それは、どこを選択しても当たりのない、あみだくじみたいなものです。したがって、物語の終わり方よりも、その結末までに、2人の感情や関係性がどう変化していくのかというのが、ポイントなのだと思います。

そういう意味では、貧富やセクシャリティのことよりも、「家族」がキーになっています。

七恵の家族は、入院中の意識のない父親しか出てきません。レイの家族はしっかりと物語に絡んできます。裕福でとても仲がいいようですが、でも、レイのことをちゃんと理解しているわけではありません。

それにしても、レイの家族は、どういうお金持ちなんでしょうね。独特のファッションセンスで、政治や経済の世界での成功者ということでもなさそう。かといって、極道ということでもなさそう。兄ちゃんはちょっとヤンキーっぽいですが。お父さんはアートの世界の成功者? だとすると、レイに対しても少しは理解があってもよさそうに思うのですが…(それも偏見か)。なかでも、義理の姉役の鈴木杏がいいですね。かっこいい。レイにとっては全く意味を成さない正論を説き続ける兄ちゃんも、それはそれでいいです。きっと母親に似たんでしょうね。

また、七恵の実家にあった、あまり使われた形跡のない人生ゲームも印象的でした。父親が、何か父親っぽいことをしようとふと買ってきたものの、楽しくゲームをするような家族関係ではないので、そのまま置かれていたのかと、勝手に深読みしていました。

どちらがいいということではなく、それぞれの孤独や寂しさを抱えて生きてきています。

高校時代のレイと七恵が初めて言葉を交わした日のエピソードを踏まえると、本人は自覚をしていないでしょうが、七恵にとってレイは新しい家族同然の存在として、位置付けられているのではないかと思います。家族だからこそ、理解できないことも、疎ましく思うことも、ぎりぎりの時に頼ることもある。七恵自身がそのことに自覚的であれば、もっと違った人生を歩み、もっと違った2人の関係性を築けたのかもしれません。それを邪魔していたのが、レイのセクシャリティだったのかもしれません。それが、この逃避行で解放されていったのかもしれません。そんなことを考えながら観ていました。

物語の前半で、レイはスマホを捨てる(そうしないと位置情報からすぐに捕まってしまうという物語上の都合もあるのでしょう)ので、公衆電話を使う場面が何度かあるのですが、「よく番号を覚えているな」とか「あれ?110番ならお金要らないよね」とか、ちょっと気になってしまいました。まあ、些細なことです。

Netflix映画ということで(?)、性愛のシーンもふんだんにあります。それを演じることが「体当たり」だとは思いませんが、その表現は、他の一般映画と比較して、一歩も二歩も踏み込んでいたものであることは確かです。「男は入れるものがあっていいよね」なんてセリフもありました。実際にレズビアンの行為がどういうものか分かりませんが、抱き合って、2人で一緒に絶頂に達することができないというのは、2人の関係性をも表しているような気がします。

自宅で見るには、刺激的なシーンが多いので、映画館での試写で観られて良かったです。

そういえば、英語タイトルは「Ride or Die」でした。直訳すると「乗るか、死ぬか」つまり「乗らなければ、死ぬ」ということで、彼女たちの逃避行を意味しているのでしょうが、スラングとして「その関係性がなければ耐えられない存在」「決して失いたくない存在」という意味もあるそうです。これもまた2人の関係性を言い表している、いいタイトルですね。