映画「ファヒム パリが見た奇跡」

【人権、人権、人権!】

1日映画見放題の4作目。まったく前情報なしで選択。

バングラデシュで生活するファヒムは天才チェス少年だが、家族が反政府組織に属して、危険を避けるため、父親が彼を連れてフランスへ脱出。ファヒムは現地に馴染んで、チェスの大会でも勝ち進むが、父親は不法滞在者として強制送還の脅威が迫る…という話。 

「存在のない子供たち」を思い浮かべていましたが、まだ、こちらのファヒム君の方が、恵まれた環境ではあります。

まずは、ファヒムの頭の良さですよ。言葉もあやしいなかで、数学クイズ的な問題に、豊かな発想で答える。教員が望む答えを探るような子どもよりも、「何それ!?」と教員が困るような答えを出してくる子の方が、本当の賢さを持っている子ですよね。それを認められる先生もエラい!

一方のお父さんの問題ですよ。フランス語を習得するつもりもない。バングラデシュの常識のまま、約束の時間を守るつもりもない。仕事にもつけず、「誰が買うねん?」というようなエッフェル塔のお土産を行商するぐらいしかない。でも、私も、たぶん彼以上の年齢で、「明日から、子どもを連れてパリで生活して」と言われたときに何ができるのかと考えると、強く責めることもできません。「ボナペティ」を挨拶だと思って使い続けるところが、切ないギャグシーンとして用意されていますが、ある時に「メルシー」と言って、去っていくシーンがあります。何があった後で、このセリフがあったのかを思い起こすと、哀しすぎます。

言葉の問題でいえば、インチキ通訳。最初は、単に「本当は通訳できないけど、適当なことを言って、なんとか仕事にしている人」だと思っていましたが、実はそういうことでもなかった。この背景と、そしてフランス語をマスターしてきたファヒムが、その偽りに気づくところは、本作でも最も印象に残るエピソードでした。

実話をもとにした物語ですが、どのあたりまで事実なんでしょうね。クライマックスにあったような、ああいうテレビ番組がフランスにはあるのでしょうか。

「フランスは、人権の国なのか。それとも、ただ人権を宣言をしただけの国なのか?」このセリフの強さです。日本では昨年(2019年)に、台風の避難所でホームレスが拒否されたということが話題になりました。区民であろうがなかろうが、税金を納めていようがなかろうが、守られるべきなのが人権なのです。決して、何かの見返りに受けるサービスではないのです。フランスでは国民がその問いを発し、トップがその問いに答えることができるというのは、とても健全な環境だと思わされます。

ちょっと、わかりづらかったのは、チェスの全国大会の展開。ファヒムが、師匠の教えに従って、あのような展開になったのか、師匠の教えに従わず、あくまでも自分のチェスを貫いた結果として、あの結果になったのか。チェスそのものをあまり知らないこともあって、判断がつきませんでした。どちらでも、物語としては成り立ちますが、希望としては後者の方がいいと思います。

あと、引っかかったのは邦題。なぜ「パリ」なのでしょうか。全国大会の会場はマルセイユでした。チェス塾の経営者マチルドが電話で問うたのは「フランス」という国の姿勢でした。「フランスが見た奇跡」では訴求力がないのでしょうか。ファヒムの環境や、彼を支えた人たちの強さに思いをはせると、この邦題は寂しささえ感じます。「ファヒム」だけでいいですよ。