映画「2分の1の魔法」

【人生も魔法も、今そこにあるもので、なんとかする】

イオンシネマ1日映画見放題の最初の1本。ずっと公開が延期になっていたディズニー・ピクサーの「2分の1の魔法」です。出来る限り、字幕版を観るようにしていますが、今回の映画館では、吹替版しか上映していませんでした。 

便利なテクノロジーの進化で魔法が廃れてしまったファンタジーの世界に住むエルフの少年イアンは、幼い頃に父親を亡くしている。16歳の誕生日に父が遺してくれた魔法の杖をプレゼントされ、魔法オタクの兄バーリーと一緒に、魔法を使って父親を生き返らせようとするが、不死鳥の石が欠けていたため、呼び出された父親は下半身だけだった。新たに不死鳥の石を手に入れるため、兄弟は冒険に旅立つ…という物語。

決して大き過ぎない物語の中に、しっかりと詰め込むものを詰め込んでいる。よくできていると思いますよ。

印象的だったのは、魔法というものが、問題を解決するために万能なものではなく、その場にぴったりの魔法がなければ、「今あるもので何とかする」ということが基本になっているところ。 例えば、「暑すぎるから、部屋を涼しくしたい」と思っても、いきなり冷風を送ってくれる魔法がなければ、水を汲んできて、何でも凍らす魔法と風を起こす魔法を組み合わせる必要があるということ(ちなみに、そんなシーンはありません)。そんなことだから、エアコンがあれば、そちらの方が便利で、魔法は廃れてしまうわけですね。

それによって、1つの魔法が、その場面をクリアするためだけの、物語に都合のいい1回限りの魔法ではなくて、後からそれらの魔法を組み合わせて、より大きな問題を解決するという盛り上がりにつながっているところが、上手いなぁと思いました。ただし、「見えない橋」と「嘘をつくと元に戻る変身」に関しては、その場面を盛り上げるための不便な(物語的には便利な)設定ではありました。

そして、「今あるもので何とかする」は、イアンに対するメッセージにもなっているのではないかと思うのです。父親がいないのは動かしようのない現実であって、父との思い出がないのは残念なことではありますが、それを今から魔法を使って体験しようとしても、それは今の新しい思い出づくりにしかなりません。今、自分の周りにいる人たちと一緒に、何とかするしかないということなのではないでしょうか。

だから、イアンは、クライマックスで、あの判断ができたんだろうと思うのです。

もちろん、その判断は、この冒険があったからこそのもの。見えない橋を渡るシーンでは、「これは、父親と自転車に乗る練習の代わりみたいだね」と思いながら見ていたので、イアンがラストであることに気付くのは、とても納得ができる展開でした。

原題は「Onward」。「前へ」という意味ですが、バーリーがイアンに声をかけているようなひと言ですね。邦題で「前へ」だとちょっとタイトルっぽくないですし、そのまま「Onword」だと、日本では樫山感が強すぎるので、邦題は苦労したでしょうね。「2分の1の魔法」は、もちろん父親が下半身のみ復活したということでしょうが、魔法は使えないが行動力のある兄と、内向的だが魔法が使える弟という意味でも2分の1なのかな、と。悪くない邦題だと思います。

気になったのは、下半身だけのお父さん。子どもの姿を見ることもできないし、話を聴くことも喋ることもできないのですが、意思はある。トントンと足をたたくコミュニケーションだけでなく、足で文字を書くなど、自分の意思を伝えることはできたはずなんだけど…という点。息子たちのために、あえて、やらなかったということにしましょうか。

あと、まだまだローカライズが中途半端なんですよ。「日本語の看板なら、そこはゴシック体を使っているよね」みたいなの。中途半端なら、字幕にしてくれた方がいいです。

そして、吹替を誰があてているのかという情報は知らずに見ていましたが、主役の2人は、ずっと本職だと思っていました。一方で「母親役の人がダメだなぁ。声と見た目があの人に似ているけど、もしかして」と思っていたら、やはり正解。ダメですよ、ビジュアルで声優を選んでは。ただ話題性を狙うだけのキャスティングは、作品を貶めることになりかねません。