映画「IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。」

前作「IT”それ”が見えたら終わり」から、27年後の話。27年に1度やってくるあいつがまたやってくるということですね。

1作目も見ているのですが、細かい設定や展開、どういうエンディングだったのかは、すっかり忘れていました。

ひとり街に残って図書館職員をしているマイクに召集をかけられて、負け犬クラブの面々が、デリーに戻ってくるのですが、どうやら、彼らも、27年前に何があったのか、忘れかけているようです。つまり、登場人物と同じ感覚で疑似体験的に映画を観れるので、これはよい味つけになりました。

ホラー映画のお決まりではありますが、一度集まったメンバーは、よせばいいのにバラバラに行動します。そのなかで、もう一度過去の自分に対峙することになります。私も、それぞれのストーリーを見ながら、「ああ、確かに、この子はそうだったね」と、思い出すことができます。

負け犬クラブのみんなは、単にスクールカーストの下層というだけではなく、それぞれに難しい問題を抱えていたのでした。そして、それに対する恐怖心に、ペニー・ワイズがつけ入って恐怖心を増大させ、ぱくっといこうとするという話だったと、徐々に前作の話が明確になっていきました。そして、現在の彼らは、一見成功しているようにも見えるものの、過去のトラウマを克服できているわけではないということもよく分かります。

ただ、最終的にどうやって、ペニー・ワイズと対峙するかというと、結局、前作と同じといえば同じなんですよね。ペニー・ワイズには、自分の弱さ・恐怖心が投影されるので、何とも思わなければ怖くもなんともない存在なんですよね。でも、それだと、インディアンの儀式とか関係なくない?と思ってしまいます(儀式を信じることで恐怖心が消えるということもあるのかもしれませんが)。

前作より予算も増えて表現もスケールアップしていて、3時間近くの上映時間で飽きることもないというだけで十分ではあるのですが、ちょっと物足りなさが残ります。 

なぜ前回はペニー・ワイズを倒しきることができなかったのか? 今回は犠牲を払っているから倒せたのか? 前回と今回では何が違っていたのか? いや、もしかしたら、実は今回も倒すことができていなくて27年後にまた現れるのか? 

もっと、 「大人になったからこそできること」 「大人になったからこそできないこと」 「大人になったからこそ感じる恐怖」 みたいなものがある方が、本作を作る意味を明確に出せたのではないかと思います。

ビルの小説や脚本は「結末が酷い」と、ことあるごとに皮肉を言われていましたが、この作品までモヤモヤとした結末になっています。ビルにはスティーブン・キング自身の姿が反映されているはずです。そして本作では、わざわざ本人が古道具屋の主人役で出演してビルの作品を酷評していますから、確信的な自虐なのでしょうね。

でも、あえてそうなっていることかもしれません。人生なんて、そうスッキリ、ハッピーエンディングかバッドエンディングと白黒つけられるものでもない。ビルは、どうしてもそこがひっかかるから、みんなが期待するような、わかりやすい結末を書けないのかもしれません。

原作小説も踏まえて、前後編を再構成した「決定版」みたいなのを上映するなら、もう1度観たいとは思います。