映画「寝ても覚めても」

 「同じ容姿を持つが対照的な性格の2人の男性の間で、揺れ動く女性」と書いてしまうと、なんだか、ドキドキ・ウルウル・キュンキュンしそうな少女漫画的な物語かと思ってしまいますが、全然違っていました。そもそも彼女は揺れ動いていない。いや、行動そのものは恐ろしいぐらいに激しく揺れ動いているのですが、彼女自身は自分の気持ちに素直に従っているだけで、まったくブレていません。それが良いことかどうかは別にして。 


人の心が揺れ動いていしまうのは、「こんなことをして許されるのか」「あの人はどう思うのか」「あの人に迷惑をかけてしまう」…常に他者を意識するからでしょう。本来、私たちはそこから逃れることはできないはず。実在の写真家の作品「SELF AND OTHERS」が象徴的に挟み込まれていますが、つまりは、そういうことですよね。特に最近は、やたらと不倫が叩かれたり、本来は当事者だけの問題なのに、どこまで周囲に気を遣わなければいけないのか、もう分からなくなってきています。それに対するアンチテーゼでもあるのではないでしょうか。

朝子を演じる唐田えりかさんは、ほぼ新人らしいのですが、それがうまく機能していますね。心ここにあらずというか、フワフワしていて、何を見ているのかよくわからない。感情を読み取れない口調。他者から見れば、狂気なのですが、ある意味「自然」。脇を固めるのが、伊藤沙莉・山下リオという芸達者なので、その存在が際立ちます。とにかく、脇役が全員ビターっとはまっているのも気持ちよかったです。 


東出さんが二役を演じる麦と亮平は、もともと東出さんが持っている実直な好青年イメージと、人あらざる者イメージ(「クリーピー」「散歩する侵略者」など)を、両極端に振り分けられていて、当たり役ですね。麦が猫なら、亮平は犬(そう考えると、朝子と亮平が飼っているのが猫というのも、意味深です)。麦と亮平が対峙するシーンでは、両者の表情の違いが、もう最高です。

 麦は、奔放でとらえどころがないのですが、「自分の代わりなら、ちゃんといる」と言い放った言葉が印象的でした。もちろん、モデル業界の話なのでしょうが、これが亮平のことを言っているようでもあり、だとしたら、決してイノセントではないよなぁ、と。

 一方の亮平は、もう朝子のことを信じることはできない。でも、「信じることはできない人間だ」ということについては、絶大な信頼を置くようになったのではないかと思います。つまり、今、現在、自分のところにいることに関しては、嘘偽りはまったくない。明日はどうなるか分からないけど、明日いなくなることに怯えることはなくなったのではないでしょうか。  

それが、絶えず流れ、時に溢れ出す「川」なのかな、と思いました。  tofubeatsによる主題歌も「RIVER」ですね。MVには、朝子も登場しています。海でもなく、雨でもなく、川であることの意味を考えてしまいます。

あと、フード理論的には、朝食シーンが印象的です。一緒に生活していても、2人の気持ちが決して1つにはなっていないことがよくわかります。

いろいろ語りたくなるのは、よい作品だったということですね。