映画「望み」

【加害者だろうが被害者だろうが、家族にとっては「望み」】

filmarksさんの試写会に当選しました。オンラインじゃない試写会は久しぶりです。試写室も、1席空けての市松模様型着席でした。

自宅隣に事務所を構える建築士の石川一登には、自宅で編集の仕事をする妻・貴代美、高校生の息子・規士、中三生の娘・雅の4人家族。怪我でサッカー部を辞めた規士は家にいつかなくなり、行方が分からなくなったその日に、同級生が殺害された。どうやら規士は事件に関わっているようで…という物語。

まずは、プロットの勝利というか、原作の持つ構造の強さですね。行方不明の息子が同級生を殺害した加害者なのか、あるいは、もう一人の被害者、つまり、すでに殺されているのか分からない。父親は息子がそんなことは出来ないと信じているので加害者だとは思っていない。母親は、たとえ息子が加害者であっても生きていてくれればいいと思っている。どちらも、息子のことを思ってのことですが、両者は思いはすれ違っていきます。作中のセリフにもありますが、どちらが真実であっても、家族にとっては最悪の結末となります。そして、これまでの幸せな日々は決して戻ってはきません。それだけで、そのままラストまで引っ張っていきます。

究極の選択のような問いですが、家族は真実を選択することはできません。ただ自分の思い、願い、望みを持って、行動するだけ。見ていくうちに、必ず「自分なら、どう思うだろう」と考えさせられます。そして、それは揺れます。ちょっとひねくれて、実は第三の真実もあって、「なんじゃそれ?」もしくは「やられた!」となる可能性も考えつつ、観ていました。

ただ、上映時間は108分とそれほど長くはないはずなのですが、「長い」と感じました。警察からはほとんど情報が流れてこないまま、メディアの情報を元に憶測だけで表面的に話が進んでいくので、ミステリーとしては何もストーリーが展開していきません。両親も、生徒たちに聞き込んだりしますが、それで独自に犯人にたどり着くような情報が得られるわけではありません。結局、待つことしかできません。事件発生から数日間のお話のはずですが、ずいぶん長い時間を見ているような気になります。「それが、家族が実感する時間なんだよ」と言われれば、そうなのかもしれません。 

スマートな建築士から一転してボロボロになっていく父親・堤真一も、憔悴して何をやらかすか分からなくなる石田ゆり子もいいのですが、その中で、清原果耶が抜群の存在感を放っています。事件前の、ちょっと冷めているけど、ちゃんとバランスを保って愛嬌も出せるよく出来た妹から、母親には言えない本音をクルマの中でそっと父親に伝えるところ、抑えきれずに以前から感じていた不満までぶちまけるところ。どのシーンも、とてもいいです。家に居たくないというのもあるだろうけど、あの状況で塾に行けるというのも、相当強いメンタルを持っていますよ。

また、父親と工務店の親方との一連のやり取り。ややステレオタイプな描き方ではありますが、ここは気持ちを持っていかれるところです。 気になったのは、登場人物の行動や思考の違和感。 あの状況になったら、真っ先にナイフが工具箱の中にあるかを確認するだろうし、息子の机やカバンも確認しませんか? そして、カバンを持ち出していないということは…と考えませんか?

そもそも、「息子が加害者かもしれない」は分かるのですが、「もう1人の被害者かもしれない」というのは、「もう1人被害者がいる」ということが確定しているからこそ考えられることのはず。でも、遺体はもちろん、遺留品があるわけでもありません(あったとしたら、それが誰かは早くに分かってしまうわけですが)。根拠は「ネットでそんなことが囁かれている」というだけ。それで「息子も殺されているかもしれない」に振れますか? 家族の望みとしては「巻き込まれているだけで、逃げているかもしれない」と思いたくはありませんか? 

あと、母親の心情も気になりました。「息子に生きていてほしい」は分かります。しかし、それと同時に「加害者であれば、生きて罪を償ってほしい」がないと、息子を「信じる」ということにはなりません。後者の思いを感じることができず、「本当の愛情って何だろう?」と感じました。ただし、ラストで、その違和感には多少答えを出してくれました。

全体的に「加害者か? 被害者か?」と言いたいがために、少々無理をしているような印象は残りました。そして、それは、描いたストーリーに都合のよい情報を集めて、本来見るべきところは無視するという、本作の中でも醜く描かれているマスコミの事件報道の問題点そのもののようにも感じました。